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2006/06/04(日)
阿弥陀堂
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長野飯山の阿弥陀堂に行って来た。 大好きな・・ 好きなどという言葉を越えた、心の奥深いところに存在する一本の映画・・ 「阿弥陀堂便り」のロケ地。
「阿弥陀堂便り」脚本・監督 小泉堯史 原作 南木佳士
この話はフィクションなので実際は阿弥陀堂として存在するものではない。 映画の撮影のために建てられたものだ。 しかし、原作の内容の奥深さ、素晴らしい場所設定、出演する役者の妙により、本当にそこに息づくような処なのだ。 今は緑に囲まれ、菜の花が咲き乱れ、遠く眼下に千曲川を臨む。
村の阿弥陀様を守る堂守、96才のおうめばあさん。 村人の死んだ魂はこの阿弥陀堂に集う。
「南無阿弥陀仏さえ唱えていりゃ、極楽浄土へ行けるんだと、子供の頃にお母さんに教わりましたがな、わしゃ極楽浄土なんぞ、無くてもいいと思っておりますよ。 阿弥陀仏を唱えりゃ、木だの、草だの、風などになっちまった気がして。 そういうもんと同じに、生かされているんだと感じて、おちつくでありますよ。」
おうめばあさんが語るこの一説が心に残る。 大きく、優しい自然の中に身を置くと、どうしようもなく小さな自分を見つけてしまう。 生きるために生かされている。 この万物の大前提を見失ってばかりいる日々。 自分の存在価値ばかりが気になる現世から遊離して、もともと存在価値などなかったのだという原点に返る。 自然の中に溶け込み、癒しの恩恵を受け、無に還る。 癒されるとはこういう事を言うのだろう… 自分を無くすことから始まり再び立ち上がる力を得るのだ。
俗世から遠く離れたような場所、阿弥陀堂… 今日もまたちっぽけな自分を見つけた… たまには南無阿弥陀仏と唱えてみるのもいい。
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