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2006/06/17(土)
火焔土器
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長岡にある「歴史博物館」に行ってきた。 近くの馬高三十稲葉遺跡から縄文時代の火焔土器が発掘されたことで、2000年に開館した。 訪れるのは2度目である。 今日は一人で心ゆくまで見ることが出来た。 写真撮影が自由に出来る珍しい博物館である。
私は人類の進化や古代史がとても好きだ。 自分の存在の意味を認識できる。
日本の古代史では縄文時代。 中でも火焔土器はいつまでも見ていて飽きることがない。 炎を型取った非常に力強いフォルム。 なのに模様の繊細さに目を奪われる。 大昔、火はとても貴重で神聖なものだったに違いない。 触ることができず、感触の実感のないものを形にする気迫。 その気迫が土器という有形物質に力を与えている気がする。
火焔土器の力強い繊細さが、今日も古代の人へ思いを寄せる橋渡しになった。 「生きる」ということが最大の生活の目標。 男も女も全勢力で「生きる」ための「食べる」という事にに力を尽くす。 そして少しの遊び心。 とてもゆったりと時間が流れていたことだろう・・
♪そりゃあ誰だって辛いことはたくさんあるけれど この世に生まれた以上は 生きて行かなくっちゃ♪
昔から男の役割、女の役割というものが決まっている。 今の日本、その形が崩れ始めている。 男女平等は当然のことであるが、役割まで平等と勘違いしてはいけない。 男は生活の糧を得るために働き、女は生活を守るために子を産み働く。 男と女で時代を守ってきたのだ。 今また古代に帰らなければ、時代が崩壊してしまう。
縄文の時代、女性が大切にされていたことが土偶を見るとよく分かる。 今も昔も変わらない愛の営み。 この話はまた別の機会にしたいと思う。
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