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NSPを想うmimiの個人的日記
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2006/02/12(日) 祖母が守った雛人形
今日は雛人形を飾った。
我が家は三代分の雛人形を飾る。
私の母の段飾り。娘の親王飾り。私の立ち雛。
母は健在で元気すぎるくらい元気だが、飾るのがおっくうになったと言い、生き形見として3年前から我が家に来ている。

母の段飾りのお雛様。
これは戦時中、祖母が人間より先に疎開させた人形である。
父親が若い時になくなっているので、母子家庭だった母の家庭。
祖母が父親の形見として子供に残したかった物、それが雛人形。東京の世田谷に住んでいたため、戦火を恐れた祖母は、
「その時が来たら、人形は持って逃げられない…」
と、なんと誰よりも先に宮城県へ疎開させたのだ。
我が祖母ながら、なかなかやるなと思う。
疎開先でも、いつ戦火で焼かれるかもしれないと、子供のままごと遊びに使わせたらしいが、今だ何も無くならずそろっている。
祖母の心意気を見るようだ。
昭和初期の雛人形は現代のように華やかさはないが、きめ細かな職人の仕事に目を見張る物がある。
古めかしくはあるが、祖母と母が守ってきたこのお雛様、私もいつまでも大事に受け継いでいきたいものだ。

戦時中の女性の様子を語ってくれた祖母は、私が15才の時に亡くなった。もうだいぶ前だが、今でも祖母の声はハッキリ覚えている。


二人並んで微笑むお雛様…
変わる事のない穏やかな微笑みが今年はやけに眩しい…


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