ねこの手ハウス日記
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2021/08/28(土) ねこの手をきれいに
コロナコロナで暗くなりがちな毎日。
せめてねこの手ハウスをプチリニューアルして、晴れて開店となったとき、来店者にきれいになったね!と言って明るい気分になってもらいたいという思いで提案。

密にならないように、12時から運営委員の内6名が集まって作業開始。前もって椙崎さんが壁紙貼りについては段取りを考え続けてくれています。

1日に黒川さんの旦那が壁紙貼りをしてくれることになっているので、今日は汚い壁紙剥がしと、長期委託品の整理など。

長期委託品の中には何年も前、毎日のようにねこの手に来て彼女の感性で大活躍だったのに、突然千葉に行ったアオイさんの手作りアクセサリーが沢山あります。電話を何回もかけましたが、つながりません。
もう何年もたったし、委託品のお約束により、寄付していただくことに。
全品200円で販売。

元さんと椙崎さん、古畑さんが壁紙剥がしに奮闘。10年以上前、ねこの手の柱崩壊の危機の際、柱を6本だか建て替えて、壁紙もその部分だけ貼り替えたはずなので、その他の汚い部分を予定。

 稲垣さんが差し入れを持って来てくれました。外のテーブルでは秋子さんとどなたかがおしゃべり中。

 委託品の棚を整理していて、いろいろ汚い部分が目につきました。汚れた布を取り換えるべく、二階に。大きくて黒い布を発見。石川さんが計測して、持ち帰りはしミシンをしてきてくれると。

 余裕だと思いましたが、結構高齢身体に負担。それでも4時前には何とか終了。次は1日に黒川さん夫妻が中心になっての壁紙貼りです。Mr.山口が時間と人数についてしきりと心配しています。FBに載せたら、中掃除の日いつも来てくれる背高のっぽの佐藤さんから手伝わせてくださいと反応あり。大きな力。

 1日はMr.山口が心配して予定の12時ではなく早めに来て荷物を出すと言います。黒川さんも11時半には来ると。
 沢山出たゴミは明日いつものように元さんがゴミの日に出してくれます。
 コロナ禍にあっても、皆さんのねこの手を思う気持ちは変わりません。
 (山口百記)

2021/08/20(金) 何年前だったか
今日の朝日新聞耕論に、消えゆくヤクザというタイトルで三人の方が書いているのを読んで、あるヤクザさんの事を思い出しました。
それはねこの手の歌声喫茶の日のことでした。入り口近くにいた本間さんに話しかけている見慣れない男性がいました。本間さんからバトンタッチされたのでしたか、店内では話せないので外に誘うと、外のテーブルにキツイ目をした仲間?らしい人が座っていました。

外で話した男性はFさんと名乗り、子供のころから大酒を飲んだので家を追い出されたそうです。その後ヤクザになり、Fと言うと結構名がしれているそうです。

 入院していて退院してきたら今まで通っていた作業所だかにもどれなくなっていたので、何でもするから、表の本を盗む奴を防いだり、働かせてほしいと。ここは性善説のばだから、盗む人はいないよ、ここは給料は出ないんだよ。皆んなでできることをしてなりたっているんだから、のようなことを言った気がします。

 表の本を何冊も買われます。しかも、誰かに電話をしながら選んでいます。読書家なんですね、と言うと、独房に入っていると暇だから。務所とシャバを何回も行き来した。最短1週間だった。友達が一人も居ないと言われるので、外のテーブルにいるキツイ目をしたお兄さんを指して、友達いるじゃ!と言うと友達じゃあないと。
 だれが来ても良い場だから、給料は出ないと納得するならと、来てみればと応えました。あちこち見える所にタトゥーが覗いていたのをさして、見えないように長そでを着て、サンダルではなく、ちゃんとした靴を履いてくるからと言われました。
 誰が来ても良い場だからとは言え、ヤクザさん大丈夫かな?と、少々不安ではありました。来ると言う約束の日、電話があり、ヘルパーさんが来ることになったので、次の日に来ると。ここは、怒ったりはないばだからね、優しくね、と伝えたような。わかったと言われたような。
 結局つぎの日にもみえませんでした。
マル暴対策法案だかが決まった年で、成り行きを気にしておられたので、気にしてるんだね、と言うとそりゃあそうだ!と断言していました。
障害者手帳をもっていて、ヘルパーさんが来てくれていると言うのだから、ちゃんと社会で生活できてるのではないかと思いたい。
今ごろFさんはどうしておられるだろう?
山口百記

2021/08/06(金) 原爆の日
原爆投下の日、祖父母は広島市内の観音町という町に住んでいました。聞くところによると、ピカドンが落ちた時祖母は2階に居たのに気づいたら一階に居て崩れた家屋の下敷きになっていたそうです。祖父が助け出したものの、服がボロボロになっていたので、祖父が着れる服を探しに行ったそうです。元気に見えた祖父ですが、その時浴びたガラス片が死ぬまで足に入っていました。
着る物を探しながら祖父は焼け爛れて亡霊のようになった人達の行列を見ました。
一方、祖母は通りかかった知り合いのひとに荷車に乗せてもらって田舎まで連れて行ってもらい、その後祖父とも田舎で会えたそうです。
 疎開していた母は市内に大きい爆弾が落ちたらしいと聞いて、市内に住む両親を案じて、知り合いと一緒に市内に入り、両親を探し回ったそうです。入市被爆です。一緒に入市した方はその後間もなく亡くなられたそうです。
母は被爆しましたが、100歳まで生き、同じく被爆した母の姉は108歳で先日亡くなりました。彼女を長年介護してきたのは、市内で被爆した息子で、ピカドンの閃光を浴びた側の目は見えず、耳は聞こえないまま90歳になるそうです。
いつも思うのですが、個人差があると思うと希望が持てますね。

もちろん核兵器廃絶賛成ですが、戦争にならなきゃ核兵器を使うこともないですし、戦争は自然現象ではなく、人間がおこすことですものね。ただ、いろんな人間がいて、しかも、いろんな人が指導者になるのでやっかい。
今コロナが蔓延して怖いですが、少なくとも爆弾が飛んで来る恐怖ではない。今現在でも、コロナを恐れるゆとりもなく爆弾が飛んでくる恐怖の日々をおくっている人達がいると、メディアを通じて知らされます。

普通に挨拶してねこの手に行ってアルコール消毒して、マスクしながらも談笑して、自由に帰る。コロナ禍前に比べたら少し不自由ですが、幸せなことかと・・。
順調に夏休み明けますように。その頃コロナ禍が少しは収まっていますように。
山口百記


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