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2011/03/14(月)
地震のときの記録
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地震があって電話は全く機能しなかったが、 ネットだけは普通に動いてくれて ツイッターでリアルタイムな情報を受け取ることができた。 それを、離れている家族にメールでがんがん送った。
誰とも連絡が取れず、不安な時、 ドイツの弟とスカイプで会話できて少し落ち着いた。
yukaは東京駅から杉並の自宅まで歩いて夜中にクタクタになりながらも無事帰宅。 携帯の充電は切れ、情報が全く入ってっこないなかひたすら歩いたと。 外壁が崩れている古いビルがいっぱいあったそうだ。
テレビでは被害のひどい地域の情報しかはいってこないため、 うちの田舎の被害情報は当時まったくつかめなかった。 今も田舎の交通機関はマヒ。 山間部のため土砂崩れ、落石あり。 今後、雨でも降って地盤が緩めばまた土砂が崩れてくるだろう。 会いに行きたくてもママとはしばらく会えそうもない。 でもママもチーくんも無事で元気モリモリなので安心してる。
ロンドンの従姉妹から3度ほど連絡あり。 こららで無事の確認のとれた家族、親戚の情報伝える。
地震の次の日、出社予定の同僚達はみんな出社した。 「家に子どもだけをを留守番させてきたから心配。」と 不安になりながらも定刻どおりに出社してきた姉さんや、 「もう帰してもらえませんか?」と余震に顔色悪くしてた姉さんも定時まで仕事をこなした。 会社の兄さん達は「どうしようか、どうしようか。」と余震のたびにオロオロして何も決断できずにいたのが印象的だった。
ロケットにとって地震は圧力鍋のピューピューと同等の反応。 家がガタガタいうくらいの揺れの時は、こたつに自分で非難。 余震くらいではグーグー寝てる。 首輪とリードはしばらく昼夜問わずつけっぱなしにすることにした。
今後一週間の家族各々のスケジュールを共有することとした。
特に通達もなく、すでに仕事は通常運転に戻りつつある東京だが 宮城の叔父夫婦、従兄弟たちは無事なんだろうか? 依然安否情報なし。 【追記:無事の確認とれました!】
とりあえず節電に努めることくらいしか出来ない。
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