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2006/11/28(火)
雪平翼音楽史
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母や父の影響だと思いますが、小さいときから歌うのは好きでした。 母は昔アマチュア歌手だったし、実父はバンドマンでした。確かギターだったかベースだったか記憶は定かじゃないが…。 だから昔から家には楽器や機材が溢れるほどあって、キーボードはよく弾いてたし、幼稚園の頃から小学校入るまで約4年間音楽教室にも通ってた。思えば当時からスコアなしで聴いた音を演奏出来てたな。でも音感とかよりリズム感を褒められてた記憶が。
初めて親に買ってと頼んだCDはV6の『WAになっておどろう』。恐らく小学1年生。
小学2年生くらいかな。母が通ってたヴォイストレーニングには毎回ついていって自分も歌ってた。 その頃からですね。母に「歌手になれ」とか言われ始めたのは。 しかし当時は芝居にすら目醒めていない頃。なんであたしが歌手にならないかんのや的ノリでした。
9歳、小学三年で、母の勧めで作詞を始める。因みに文章書くのは好きだったからこれは素直に受け入れた。(笑) この頃からですね、「翼ちゃんは将来小説家になるんでしょ?」とか言われ始めたの。確かに小さいときから活字好きで物書きだったけど、一体誰がいつ「あたし将来小説家になるぅぅ」などと言ったのでしょう。まったく身に覚えがございません。だって当時の雪平の夢は獣医でしたから。大人は勝手なイキモノですな。
そしてクラシックに興味を持ったのが小学四年。毎朝クラシック聴いてたな…しかしその後何年もクラシックから離れる。理由は…あったはずだが記憶にない。
あと多分これも小学四年、学芸会で『西遊記』をやった。当時は最高レベルの人見知りかつ引っ込み思案だった雪平はナレーターを希望…しかし担任教師に勝手に猪八戒のソロ歌その他歌関係の役に抜擢される。理由が確か「歌が上手いから」とかだった気が…。役者にも歌手にも興味がなかったその頃の雪平にとっては不本意極まりない役柄でした。かなり嫌だったな。いまなら喜んでやるのに(笑)。寧ろ「やります!!」みたいなね。(笑) 恐ろしきかな時間の流れ。
確か小学五年。初めて自分の小遣いでCDを買う。後藤真希ちゃんの『愛のバカやろう』。勉強しながら聴いてたなー。 でも当時本ッ当音楽興味なくて…歌うのは好きだったけど。
中学二年から三年まで、此処が音楽的空白期間。歌うのは好きだからカラオケとかはいくけど新しい曲なんか全然判らなかった。 意識してシャットアウトしてたのはある。なにせ雪平の詞の基盤が固まったのはその頃。当時は作詞を始めて五年目で、“吸収”の時期から“固め”の時期に入り、周囲からの影響を避け己らしい文を確立する時間を作ったわけだ。一年間ね。そのあたりから雪平らしい作品になったなと雪平自身思う。 更にいまの文に行き着くのは中学三年の秋頃かな。 まあ音楽をシャットアウトしていた当時から漠然と、「役者と一緒に歌手やれたらイイな」程度の気持ちはあったけど。
中学一年だったか二年だったか三年だったか、初めて作曲をする。『dearest moon』という曲。
そしてこれも多分中学二年か三年…知り合いの歌い手さんが雪平の作った詞に曲をつけてくれた。上記よりもこちらのほうが先だった気もする。 『メトロポリス』。作詞者の雪平が言うのはどうかと思うけど、本当名曲。 LIVEでも歌ってくれたり、ファーストアルバムにも入れてくれたり(『メトロポリス』の他に『rasen』という曲も同じアルバムに入ってる。『rasen』は物凄く気に入ってます)、本当に大事にして下さって、物書きとしては本当に幸せでした。勿論自分で書いた詞は自分で歌いたい気持ちが一番だけど、カタチはどうあれ自分の物語に命が吹き込まれていくのは嬉しいこと。 曲を聴いた方や詞を読んだ方がそれによって涙してくれたこと、元気が出たとか言ってくれたこと、それも本当に嬉しかった。自分が歌っていなくても、やっぱり自分で描いた言葉は雪平にとっては子供や仲間のようなものだから、一人立ちしても違う場所にいても、頑張ってくれていることが幸せ。 あるときアルバムを聴いた知り合いが、八丈島で撮った夕陽の写真に『rasen』の歌詞を載せて、写真立てに入れてプレゼントしてくれた。雪平が夕陽が好きだと知っていて、そうやってくれた。 泣いたね。本当泣いた。雪平の名前まで入れてくれて…本当にいまでもあれは雪平の宝物。机の上に飾ってます。辛いときにはそれをみると、元気が出て来る。
そんな喜びを経験した後、16歳、春。やっぱ歌唄いてーとか言い始める。
そして16歳の9月。バンドを始める。 中二からの空白はもう完全に埋まるってくらい、今日まで物凄い音楽漬けの一年と約三ヶ月だった。 バンドを始めた当時から今日までのこともお話したいところだけれど、振り返るにはまだ早いかなって気がするから、というか音楽的話から結構逸れてしまいそうな気がするので、今日のところはやめておきましょうか。
いまは芝居と音楽、正直天秤にはかけられない。 昔「歌手になれ」と言われていた頃、まさか将来こんな音楽バカになるとは思ってなかった。本当人間って判らんな。 これからの雪平音楽史がどうなっていくのか、自分のことだけど本当に楽しみ。 避け難き宿命と訪れるべき運命とが導く雪平の未来は、さてどんなモノになるでしょう。
明日は『雪平芝居史』をお送り致します。(笑)
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