RAQttボーカル雪平の日記
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2006/11/30(木) 雪平翼芝居史 前編
0歳〜2歳くらい。某有名子供プロダクションに所属していたらしい。記憶にあるわけがない。

2歳。初めて芝居というか、演劇を観る。当時広尾に住んでいたんだけど、初めて観た芝居は地元の児童劇団だった。これも勿論記憶にない。
本格的な芝居を観始めたのが何歳だったか記憶にはないけど、母親も昔芝居をやっていたので、そういう流れで雪平も幼い頃から舞台っ子でした。

小学二年生。某有名事務所(名前を出すのマズイ)が始めた子供劇団みたいなトコの一期生オーディションに合格。…が、当時青梅に住んでいた雪平家。母親がレッスン場まで毎週連れていくのが面倒臭いという理由で折角のチャンスを棒に振る。勿論当時の雪平に役者になりたいという気持ちは皆無である。

小学校三年生、9月7日。雪平が卒業した小学校へ転入。
此処で、あやと出逢う。初日からあやと遊んだのを覚えている。勿論互いに人見知りの激しかったあやと雪平が初日っから仲良く出来たはずもないが、流れでね。

11歳、小学五年生。確か9月。月曜夜7時、アニメ『犬夜叉』放送開始。第一話は途中からしか観られなかったけどすぐにハマって、当時18巻まで発売していた原作コミックを地道に買い続けて揃える。その年はクリスマスプレゼントも犬夜叉だった。11歳のガキが18冊も集めるなんて本当大変なことです…他のものを我慢してまでそれをやっちゃったんだから本当好きだったんですね。いまも好きだけど。
此処が、雪平の人生、最初の分岐点。
そしてすべての出発点。
犬夜叉がなければV6ファンにすらなっていなかったかもしれない。
音楽もやっていなかったかもしれない。芝居やっていなかったかもしれない。

同じく小学五年生。いまから6年前の2001年2月10日。未だに覚えている。
母の友人が劇団☆新感線のファンで、犬夜叉好きだと知ったそのヒトが、「新感線で犬夜叉やるけど観にいく?」と誘ってくれた。
さあ、二度目の分岐点。
上で出て来た日付は、犬夜叉の芝居を観にいった日。いまは無き赤坂ACTシアター…午前中に新宿で映画を観て(アニメ『BLOOD+』の元ネタともいえる『BLOOD THE LAST VAMPIRE』…当時から趣味がマニアックだったわたくし(笑))、犬夜叉を観る。
最初の衝撃。
なんですかね…あの感じ。
いまとなっては小劇場も含めて色んな芝居観まくってる雪平ですが、当時はいわゆる商業演劇しか観たことなかったんですね。
だから新感線っていうのは、雪平には物凄い衝撃だったわけです。
あの重低音効かせた、腹に響く音響。激しい立ち回り。鮮やかな照明。物語のスピード感。なによりも圧倒的なカッコよさ。
全部本当に新鮮だった。
初めて芝居を観始めてから9年経って、芝居ってこんなに面白いんだぁ、カッコイイんだぁって、初めて思った。
劇場で売っていた戯曲を買う。
これもまた、小さな分岐点。

2001年10月。小学校六年生。
小学生最後の運動会が終わったその日の夕方、雪平宅であや、友達のNと遊んでて、犬夜叉の話になる。
そこから舞台版戯曲を引っ張り出して来て、遊びで芝居が始まる。まあ芝居なんていえるようなもんじゃなかったけど。
最初っから雪平は犬夜叉で、最初っからあやはかごめでした。
完全にハマった三人は、翌日「犬夜叉やろーぜ!」と当時の仲良し五人組残りの二人を誘うわけです。
ボロボロだったし全然芝居としてはまだまだだったけど、やってて楽しかった。芝居って観るよりやるほうが面白いじゃんって、そのとき初めて知った。
此処が三つ目の分岐点。
12月に本番、なんてことを言ってたけど結局皆やる気がなく本番を迎えられずに終了…雪平は当時からなんでもやる気満々の空回りサンだったんですね。変わらんな。
「あぁ、そうだよね。あたしも無理なんじゃないかなぁって思ってた」。
こんな台詞を言いながら、内心辛かったのをハッキリ覚えてる。
好きだったんですね。芝居やってる時間が。
皆で馬鹿やってるのも楽しかったけど、やっぱり芝居が好きだった。失ってから初めて気づく。
四度目の分岐点。
そうして…

2002年1月。小学二年で通わずに終わった事務所の再オーディションを…ってオーディション受けないで普通に入ったんだけど。
このとき初めて携帯電話を持つ。
五度目の分岐点。
でもその事務所、雪平に合ってなくてすぐ辞めちゃった。芝居やってるのに楽しくないっていうのはやっぱり…ってやっぱ昔から変わってないんだな自分は。
その前から携帯っ子だったあやと、メールし始める。本当の意味で互いに理解りあえるようになったのはこの頃からかも。

2002年3月…小学校卒業。
卒業式のその日に、謝恩会が決定。話の流れで、謝恩会で犬夜叉の短い話をやろうと決まる。雪平、一晩で脚本を書き上げる。初めて書いた脚本でした。
本番一週間前から稽古開始。我が母親が演出(というか監修というか)を担当。
その前にやってた新感線版犬夜叉の台詞をパクってるところがあったので(オイ)、皆結構スラスラ台詞を覚える。にしても流石小学生、凄い記憶力。
稽古終了後に小道具、衣裳の作成。鉄砕牙がふにゅふにゅなっちゃってなかなか大変だったな…でも個人的には返って来ない飛来骨創りが一番楽しかった。(笑)
袴創りは苦労したなぁ;
物凄い勢いで本番まで追い上げて、本番当日。

2003年3月25日。
母、雪平、あや、桔梗役のYちゃん、珊瑚役のTちゃん、弥勒役のN、七宝役のIさんがタクシー二台に分かれて会場へ。小道具とか持っていくのが結構大変だった。
ただ会場でハプニング発生。会場に音響設備があると聞いていたのでCDだけ持っていったら音響設備ってなんもないじゃーん!? というワケで残念ながら音響なし…CHANGE THE WORLD流したかったな。
でも本番自体は成功。
本当楽しかったなぁ…。
六度目の分岐点。


此処までが前編。
後編はまた明日。

2006/11/29(水) おもろ。
雪平芝居史は明日にしましょw

いま、雪平の部屋であやがギターに悪戦苦闘しております。「F〜!!」って叫びながら。
その横で雪平はこうしてキーボードを叩いております。
同じキーボードなら楽器のキーボードが叩きたいぜ。(笑)
本当はミーティングしなきゃいけないことがあるんだけど(ていうか昨日ミーティングやったのにほぼ無駄話に終わって話題が残ってる)、とりあえず今日はあやが納得いくまで練習させてやりましょう。雪平はメッチャ暇だけどいいの我慢するから。(笑)
本当はバイオリンの練習やろうかと思うんだけど、雪平はどうもそういうときは一人で黙って練習してたいタイプで、周りにヒトがいると駄目なんだよね。歌とか芝居とかそういう慣れてるモノはとにかくとしても。
あや、前よりはF鳴るようになってるぞ。曲が『3月9日』なので初っ端からFなのよね。

おっと、スコア探さなきゃいけないのでこの辺で。(笑)

2006/11/28(火) 雪平翼音楽史
母や父の影響だと思いますが、小さいときから歌うのは好きでした。
母は昔アマチュア歌手だったし、実父はバンドマンでした。確かギターだったかベースだったか記憶は定かじゃないが…。
だから昔から家には楽器や機材が溢れるほどあって、キーボードはよく弾いてたし、幼稚園の頃から小学校入るまで約4年間音楽教室にも通ってた。思えば当時からスコアなしで聴いた音を演奏出来てたな。でも音感とかよりリズム感を褒められてた記憶が。

初めて親に買ってと頼んだCDはV6の『WAになっておどろう』。恐らく小学1年生。

小学2年生くらいかな。母が通ってたヴォイストレーニングには毎回ついていって自分も歌ってた。
その頃からですね。母に「歌手になれ」とか言われ始めたのは。
しかし当時は芝居にすら目醒めていない頃。なんであたしが歌手にならないかんのや的ノリでした。

9歳、小学三年で、母の勧めで作詞を始める。因みに文章書くのは好きだったからこれは素直に受け入れた。(笑)
この頃からですね、「翼ちゃんは将来小説家になるんでしょ?」とか言われ始めたの。確かに小さいときから活字好きで物書きだったけど、一体誰がいつ「あたし将来小説家になるぅぅ」などと言ったのでしょう。まったく身に覚えがございません。だって当時の雪平の夢は獣医でしたから。大人は勝手なイキモノですな。

そしてクラシックに興味を持ったのが小学四年。毎朝クラシック聴いてたな…しかしその後何年もクラシックから離れる。理由は…あったはずだが記憶にない。

あと多分これも小学四年、学芸会で『西遊記』をやった。当時は最高レベルの人見知りかつ引っ込み思案だった雪平はナレーターを希望…しかし担任教師に勝手に猪八戒のソロ歌その他歌関係の役に抜擢される。理由が確か「歌が上手いから」とかだった気が…。役者にも歌手にも興味がなかったその頃の雪平にとっては不本意極まりない役柄でした。かなり嫌だったな。いまなら喜んでやるのに(笑)。寧ろ「やります!!」みたいなね。(笑)
恐ろしきかな時間の流れ。

確か小学五年。初めて自分の小遣いでCDを買う。後藤真希ちゃんの『愛のバカやろう』。勉強しながら聴いてたなー。
でも当時本ッ当音楽興味なくて…歌うのは好きだったけど。

中学二年から三年まで、此処が音楽的空白期間。歌うのは好きだからカラオケとかはいくけど新しい曲なんか全然判らなかった。
意識してシャットアウトしてたのはある。なにせ雪平の詞の基盤が固まったのはその頃。当時は作詞を始めて五年目で、“吸収”の時期から“固め”の時期に入り、周囲からの影響を避け己らしい文を確立する時間を作ったわけだ。一年間ね。そのあたりから雪平らしい作品になったなと雪平自身思う。
更にいまの文に行き着くのは中学三年の秋頃かな。
まあ音楽をシャットアウトしていた当時から漠然と、「役者と一緒に歌手やれたらイイな」程度の気持ちはあったけど。

中学一年だったか二年だったか三年だったか、初めて作曲をする。『dearest moon』という曲。

そしてこれも多分中学二年か三年…知り合いの歌い手さんが雪平の作った詞に曲をつけてくれた。上記よりもこちらのほうが先だった気もする。
『メトロポリス』。作詞者の雪平が言うのはどうかと思うけど、本当名曲。
LIVEでも歌ってくれたり、ファーストアルバムにも入れてくれたり(『メトロポリス』の他に『rasen』という曲も同じアルバムに入ってる。『rasen』は物凄く気に入ってます)、本当に大事にして下さって、物書きとしては本当に幸せでした。勿論自分で書いた詞は自分で歌いたい気持ちが一番だけど、カタチはどうあれ自分の物語に命が吹き込まれていくのは嬉しいこと。
曲を聴いた方や詞を読んだ方がそれによって涙してくれたこと、元気が出たとか言ってくれたこと、それも本当に嬉しかった。自分が歌っていなくても、やっぱり自分で描いた言葉は雪平にとっては子供や仲間のようなものだから、一人立ちしても違う場所にいても、頑張ってくれていることが幸せ。
あるときアルバムを聴いた知り合いが、八丈島で撮った夕陽の写真に『rasen』の歌詞を載せて、写真立てに入れてプレゼントしてくれた。雪平が夕陽が好きだと知っていて、そうやってくれた。
泣いたね。本当泣いた。雪平の名前まで入れてくれて…本当にいまでもあれは雪平の宝物。机の上に飾ってます。辛いときにはそれをみると、元気が出て来る。

そんな喜びを経験した後、16歳、春。やっぱ歌唄いてーとか言い始める。

そして16歳の9月。バンドを始める。
中二からの空白はもう完全に埋まるってくらい、今日まで物凄い音楽漬けの一年と約三ヶ月だった。
バンドを始めた当時から今日までのこともお話したいところだけれど、振り返るにはまだ早いかなって気がするから、というか音楽的話から結構逸れてしまいそうな気がするので、今日のところはやめておきましょうか。

いまは芝居と音楽、正直天秤にはかけられない。
昔「歌手になれ」と言われていた頃、まさか将来こんな音楽バカになるとは思ってなかった。本当人間って判らんな。
これからの雪平音楽史がどうなっていくのか、自分のことだけど本当に楽しみ。
避け難き宿命と訪れるべき運命とが導く雪平の未来は、さてどんなモノになるでしょう。

明日は『雪平芝居史』をお送り致します。(笑)

2006/11/27(月) やったー!!
MP3のデーター復活出来ました!!
本当嬉しい〜…コレないとマジ困るのよ。
あぁよかったv
ここのところMIDIの音しか聴いてなくて色々と不満だったので、これでやっと電子音じゃない音楽が聴けると思うと本当ホッとするし嬉しい。MIDIみたいな心の入ってない音はやっぱつまらないもん。
MP3付属のソフトフェア(CONNECT PLAYERだったかな)がパソコンのクラッシュで消え、CDあったはずなのに発見出来ずにSonyのサイトでSonic Stageをダウンロードして来て、やっとデーター復活させられたし新しい曲も入れられた。本当よかった〜。
CONNECT PLAYERよりSonic Stageのほうが軽くて使いやすい。面倒な部分もちょいちょいあるけど慣れればなんとか。
音楽を『聴く』ことから離れると同時に『奏でる』こと、『歌う』ことからも離れてたけど、これでやっと音楽中心の生活に戻れるかな。
本当、NO MUSIC,NO LIFEって感じだ。(笑)

2006/11/25(土) つ…疲れた…
『パンク侍、斬られて候』という本を読んだ。
なんだこの話は!!
小説だとしても異常過ぎるこの物語。どういうこっちゃー?? 読み終わった後にこんなに疲労感がある小説って…。
もーワケが判りません。
感想が出て来ない…す・ご・す・ぎ・てー!!
いやなにが凄いって…それが判らんのよ。とにかく理解不能で凄すぎて、唖然としてしまう。
いま自分がなにを言っているのか判らん(笑)。
途中途中の言いたいこと、伝えたいことは理解出来たのだけれど、最終的な結末があまりにも…。ん〜…。
今日はもう頭がおかしくなってるので、この変で。(笑)

2006/11/24(金) 喉が痛い(>_<)
昨日からずっと喉が痛い; こんな日に喋りまくるバイトはキツかった。。
しかも今日はOCという偉いヒトが無告知で参りまして、社員マネージャーが緊張してそわそわしてたのが物凄く可愛かった。(笑) 普段はやらないようなこともやってんのw それがもうおもろくておもろくて堪らなくて一人でかなりニヤニヤしてたし。(笑) ま、お蔭で難なくスマイル出来て物凄く有り難かったけどねw
偉いヒトを目の前にすると突然優等生に変わる雪平。普段は『規則は規則、現実は現実』という考え方の下自分の法律で生きてるけど(だって規則はときに現実では不便だし正しくなかったりもする)、こういうときだけ真面目にルール守るのね。普段から真面目に生きようよ。(笑)
まあ今日は喉の調子が悪いせいか途中激しくテンション下がったけど、訊かれた質問には的確に答えられた。質疑応答得意ってか好きでよかった。
今日は喉という点では相当しんどかったし疲れたけど、新鮮で楽しかった。本来なら緊張すべき部分、緊張するはずの部分を敢・え・て、気楽に楽しむ。モノは捉え方次第ですな。
マネージャーは相ッ当疲れただろうけど、雪平は本当に楽しかったよ。(笑)

2006/11/23(木) あーあ。
「明日書く」とか言って書き忘れた…(笑)。
もーイイや。(笑)
とにかくカルマが完成したの!! 以上!(笑)

今日の夕飯は鍋でした。もうそんな時期なのね…。

2006/11/21(火) 『カルマ』スコア&アレンジ完成!!
って報告したかったのに、書いてる途中で文が消えた(泣)。
結構長文だったのに〜、ちくしょお〜(>_<)
もう午前3時前なので…今日書くはずだった内容はゴメンなさい、また明日でo(_ _*)o

運がいいんだか悪いんだか…(笑)。

2006/11/20(月) NO MUSIC,NO LIFE
愛するMP3。
お金がないのに、「音楽を聴くモノ、音質に掛ける金は惜しむべきではない」という気持ちで買った高いMP3。
データ全部吹っ飛んで…
ダウンロードし直したいのに、いままで使ってたファイル共有ソフトが消えてしまい、そのソフトもダウンロード出来ない事態。
音楽が聴きたい…。
そろそろ限界。
NO MUSIC,NO LIFEは勿論だし、MUSIC=MY MEDICINEも勿論だし。
だから音楽が聴けない毎日は物凄くしんどい…。
クラシックが特に聴きたいのに。ショパン聴きたいのに。あぁしんどい。
あーーーーーーー歌いたい(あれ?)。

2006/11/19(日) やっとだー!!
やっとGLAMOROUS SKYアレンジ完成したよ!!
本当やっとって感じだよ(笑)。スコア書いてるときに限ってパソコンが壊れるという自体に何度も見舞われたお蔭で物凄い時間かかっちゃったからね。
印刷したスコアをみたときの感動といったらw
GLAMOROUS SKYのアレンジも昨日で終わり、ずっと読んでた本も昨日で読み終えて、最近休みの日が読書で完全に潰れてた分読書を終えたら時間が余りまくったので、今日はバイオリン触ったりマフラー作ったりとか、普段やってないことをやる時間がたっぷりあってなんだか充実。一日家にいてスコア書きと読書以外のことやったの本当久々な気が。
久々にミシン触ったしな〜。家に一日いたのになんだかちょっと新鮮に感じられて、凄くよかった。

いまテレビではフィギュアスケートGPシリーズフランス大会女子フリーが放送されております。このリンク、競技なのに照明暗めでエキシビジョンみたいな雰囲気があっていいな。
ミキティの演技が楽しみだ♪

11月絵日記の続き


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