|
2008/03/16(日)
100万回鏡を見たとしても
|
|
|
自身では気が付かぬ事など、 おおいに存在するのだ。
ジュースを飲むという動作。 缶ジュースとペットボトルの場合。
他の人がジュースを飲む姿など、 コレまでの人生で数え切れぬほど見てきたし、 それ以上に、自身がジュースを飲む事を体験している。
それなのに、数年前、指摘を受け、 やっと僕は理解する。
ジュース、もしくはペットボトルの口を 自身の唇にあて、容器を少しづつ傾け、 重力の力で中の液体を口内に流し込み、 ノドを経て、体に収容される。
多くの場合はそうらしい。
そう。 「らしい」のだ。
なぜ「らしい」かといえば、 僕はこのジュースの飲み方ができないから、 あくまで「想定」することしかできない。
では、実際の僕の飲み方は。 とはいっても、ある1点を除けば、 ほとんど同じ。
ジュース、もしくはペットボトルの口を 自身の唇にあて、容器を少しづつ傾ける。
ここまでは変わらぬのだ。
この次が異なっている。 僕は重力に頼らない。 自らの力で、中の液体を吸いだす。
「なんで吸ってるの?」
数年前。 僕は指摘される。
その事実を理解する事も受け入れる事も できない僕であったが、 受け入れなければならぬ証拠が簡単に見つかる。
僕がジュースを飲む音だけ、 みんなと違う。
みんなは「ゴクゴク」 僕は「ゴクゴク」+「ちゅーちゅー」
間違った歌詞を大声で歌いきった時と 似た感覚が僕をおそう。
赤面。
それから何度か「重力式」 をこころみたが、 いまさら「重力式」には対応できぬ身体をなっており、 今もなお「吸引式」を採用し続けている。
分かれ道があるとしたら、 それはいつで、 それはどこであったのだろうか?
自身では気が付かぬ事など、 おおいに存在するのだ。
よこち
|
|
|
|