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2008/08/16(土)
この現実が架空であると仮定した場合
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裏通りにある蕎麦屋。
そこは僕が高校生の時の通学路。 学生の頃、その蕎麦屋に入った事があるのかどうかは 忘れてしまったが、
とにかく、 ずいぶん前から、その蕎麦屋に通っている。
その蕎麦屋は、ある蕎麦屋の本店。
本店ではあるが、お客さんはあまりいない。 推測するに「発祥の地」なのであろう。
いつ行ってもご近所の方がいるくらいで、 混んでいる記憶はない。
大みそかに行っても、並ばないで座れる。 が! もちろん美味しい。 そこが本店の証だ。
10年くらい前は、もっともその蕎麦屋に通っていた。 週に1度くらいは通っていたのではないかな。
仕事が終わって、遊びに行く前に、一人で腹ごしらえ。 友達と昼ごはん。 デート。 おおみそか。
いつでも、とても居心地の良い場所。
蕎麦屋に入る。 お店にはテレビが一台。 お店のどこからでも見える場所に設置してある。
テレビからは、どうでも良い番組が流れている。
席にすわると、おばあさんが注文を聞きにくる。 ずいぶんとお年を召されている、おばあさん。
注文を伝えるが、一度では伝わらない。 数分後、また聞きにくる。 そのまた数分後、もう一度、聞きにくる場合もある。
そのくせ、おばあさんは僕に、テレビ番組の解説をする。
どうでも良いテレビ番組の、 どうでも良いおばあさんの解説を、 適当に聞き流す。
いつもそうだ。 いつでもそうだ。
その「いつでも」が、 心地よく、安心するのだ。
いつ行っても、とても居心地の良い場所。 大好きな蕎麦屋。
週に一度の来店が、 月に一度、 数か月に一度、 年に数回。
いつのまにか足を運ぶ回数はへり、 ここ2,3年は来店していない。
先日。 とても良く晴れた日。
その蕎麦屋に行く。
いつものように、お店にはいり、席につく。
注文を聞きに、店主らしき男性が来る。
僕は注文を告げる。
テレビの電源は入っていない。
数分後、蕎麦は運ばれ、僕は蕎麦を食べる。 美味しい。
完食し、お勘定をして、店を出る。
お店を出る間際にふりかえり、 あのテレビを見るが、 やはり、電源は切れたまま。
僕は蕎麦屋を出る。
聞けなかった。 怖くて聞けなかった。
お店に入った瞬間に、なんとなく解ってしまったが、 まるでそのお店に初めて来たかのような 演技を、自分の為に演技した。
ずいぶんお年を召されていたおばあさん。 名前も知らぬ、おばあさん。
もし、今、ここで聞いてしまったら、 二度とその蕎麦屋に行けぬかもしれぬ。
あのテレビの解説を聴きながら、 蕎麦を食べる事が、もうできぬという事実は、 僕には必要ないのだ。
たまたまいなかった。 それで良い。
真夏のとても晴れた暑い日。 僕は蕎麦を食べた。
よこち
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![](/user/yellowmc/img/2008_8/16.jpg) |
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