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2011/05/16(月)
被災
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ツヅキ________(つω`*)
5/15の日記の続きになります((-ω-(('ω'〃)cleaの自己満足ではありますが,,,これまでの日々の記録を少し残しておきたいと思います☆お付き合い宜しくお願いします(*・ω・)*_ _)
長い夜が明けて,,,家族との連絡がついて安堵しつつも『被災地』にいるという不安が付きまとって翌日12日はオロオロとしながら過ぎ去ってしまいました。12日の朝に父は自宅を車で出発したそうです。場所はお伝え出来ませんが私の実家から仙台までは車で相当時間がかかります,,,何となく想像は出来たのですが私の実家方面から仙台を繋ぐ高速道路は寸断されている場所があり,,,父は下道を何度も迂回しながら私の居る場所へ急いだそうです。結局父が到着するのに2日半を要しました,,,無事会えた時は何年ぶりかに父を思いっきりハグしちゃいました(。´Д⊂)ただ,,,帰りがまた大変;;ガソリンが売っていない。入れられるかどうか分からない行列に並んでは売りきれ,,,これの繰り返しでガス欠寸前という所でそのご近所の有志でガソリンを配っている団体の方に数リットルですが恵んで頂いて何とかガス欠を免れました,,,崩壊した街を横目に早く帰りたい気持ちで一杯でした(この時は現場で被災している方の事なんて本当に考えられなかった;;)。その頃世間は原発事故の話題で持ち切り,,,私も見えない恐怖に心の底から恐怖しました。ここは本当に日本なのかな,,,夢だったらイイのにと何度思った事か。父へは母国から帰国を促す連絡が来ていました,,,日本では大丈夫問題ないと言っているのに海外では大変な事になった日本は終わりだと言わんばかりの大騒ぎ。これが私を何より不安にさせました。でも父は『日本』が母国,,,ここを離れては暮らせないと断言し即日本に残る事を決意しました。日本を離れられるかもと,,,淡い期待をしてしまった自分を心底恥ずかしいと思いました。今思い出してもあの数日間は自分の事しか考えられなかった,,,正直自分と家族以外がどうなっても構わないとすら思っていました。自分の貪欲さとか嫌な部分が全部出ていたと思います,,,本当に残酷な自分を見た気がします。最終的には実家に2日後に到着しました。実家には弟と妹が帰省してきていたので,,,家族全員で抱き合いました。その後落ち着いてから自宅のアパートへ戻ると...食器が落ちていたり花瓶が落ちて水びたしになっていたり;;もう大変です。家族全員で掃除してから落ち着くまで実家へ帰省する事にしました。会社へは通わなくてはならず,,,正直行きたくなくて責任者なのに何度もズル休みをしました。あの日から何もかもやる気が無くなってしまって,,,暮らしがどうでもよくなってしまった。そんな自分に腹がたって涙が出るのに体は動かない,,,1か月間はこんな感じでした。
今日はここまでにしますね。明日でこのお話も最後になります((-ω-(('ω'〃)お付き合い宜しくお願いします(*・ω・)*_ _)
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