|
2022/07/05(火)
通院前思考整理用。
|
|
|
多分後で消すだろうとは思う。通院中の精神科に行く前に、効率良く話したいから。 他に書く場所がないし、頭のまとまらなさが最近酷い。というか、まとまらなさを具体化できてきた意味では前より進んでいるとは思うのだけど。
●ずっと感じている生き辛さの内実 ・私には味方(特に友達)がいない、助けてくれると思える人がいない ・息をするように身内には利用される(被害意識が拭えない&実際気を抜けばすぐ体よく使われる) ・話したい、会いたい相手にとって私の存在は迷惑なだけ(みんな忙しいし私に関心がない)
それでなくてもしんどいのだから、これ以上利用されないように構えていると被害意識ばかりが増大して、周囲の良いところまで見えなくなってしまった。 でも良いところが見えると関わりたくなるから、余計に見るわけにいかなくなった。関わりたいと思うことは向こうには迷惑なのと、身内の方はうっかり関わるとすぐまた利用されるから。 じゃあ被害意識ばかり張り巡らせていると、この世にはいよいよ希望がなくて生きる理由がない。 でも希望を持とうとすると「叶えようとするのは迷惑」の一言に尽きるから持ってはいけない。 私が私を守っても誰も喜ばない、むしろ削って削って差し出さないと何もしないと罵られるだけ。
希望を持つと周りに迷惑だからいけないし、被害意識を持つと周りを恨むしで私の出口は何処にもない。
味方がいない。それをいい加減、「現実は基本みんな一人で自立して生きるべきもの」と、絶望でも楽観でもなくそのまま受け止めて、そういうものだと生きていくにはどうしたらいいのか。 私が思うこと、辛いこと、言おうとしていることに関心を持ってくれている人はいない。 私の存在は誰にもどうでもいい。そんな人間はありふれているものだと思う。 みんな自分のことに精一杯で当たり前だから。それをそのまま受け止めればいいだけなのに。
誰も助けてなんかくれないって、思い知った子供の頃の夜のことを、悲劇にせずに人生そういうものだ、それにしては恵まれた人生だった、そう客観的に受け止められるようになれないのは何故。
人生は良くも悪くもグレーなものなのにね。 嫌われてるわけでも好かれてるわけでもない。ただ、どうでもいい人間であるだけな自分。 嫌われる、迷惑方向に振りきれたくないから、今が最良の状態なのにね。楽しかった時代がなまじあるから、温かさを思い出すことが一番辛い。 幸せも被害意識もどっちも消えればいい。そうするしか自分を感情の渦から守れないシステムになってしまった。生きる気力を代償に。
これ、多分、何度も何度も書いてきたことだよなあ。やっぱりまとまらなかった。 永遠の堂々巡り……。
|
|
|