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2022/02/25(金)
後日談。
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世界が大変なことになっている。コロナの時もそうだったけど、少し前には思いもしなかった展開。 自分の方は予想通りの現在なのだけど。優しかった人達にほぼ全て、もう相手にされなくなった。 あ、初めて親の一人を着拒にしたのまでは、想定外か……病気とわかってるけど、さすがに限界が。。 自分でも理由がわからないほど、親の病気も世界の動乱も現在怖くて、そしてつくづく、思う。 私は、一人だった。一人だと知っているから、抵抗し続けてきた。それはとても、疲れたな、と。
半年前の「後書き」から、新しい仕事を増やした。試験も何故か、受ける数が三倍に増えた。 そうして「仕事」成分を増やした生活は、体調は悪いが、メンタルは少しだけ安定した面もある。 今回の親の病気と戦争があるまでは、不思議に穏やかな日々を過ごせた一期間もあった。 同時に、失ったものはやはり戻らないと、再確認するための半年だった気がする。 優しい人達はもう全て、私に話しかけなくなった。私から関わらないなら、この先交わる道はない。 自分がごみというのも、被害妄想もあるが、周りにも侮蔑されていることが色々あってわかった。 これでせめて、「全て私の被害妄想」の自責は外したい。人間は利用できない相手を侮る。それは事実。
自分はごみだと、私は他人の目線から自分の価値を定めた。それは、幼いことなのだと思う。 精神的にも自立した人間は、自分の価値を自分で決める。私にはそれだけは今後もできそうにない。 あくまで私は、「他人の目」が欲しいのだと思う。それは結局、一人が辛い、それだけのために。 自分がどれだけ「他人から見える価値」に縛られ、がんじがらめになっているかがわかった。 もう誰も自分の周りにはいないのに。もう誰一人、心を許して話せる相手はいやしないのに。
親兄弟がいて真に一人なわけではないが、しにたいほど足かせな部分もあり、カウントできない。 これだけ心が孤立して、それでもまだ他人の目で自分を見るのかと、静かに自問するようになった。 何のために。もうここからは、自分一人で、好きに生きて好きに死ぬしか救いはなくなっている。 一人になっちゃったなあ。と荒野に立つなら、それはしんどさが少しだけ減る「自由」でもある。 世界もこんな調子だし、いつしんでもいい人生を、これから新しく始める時なのかもしれない。
ちょうど、世話になった二台目の車を2/22に乗り換えた。新しいバイトもやっと軌道に乗ってきた。 たった一人で、もうすぐしぬんだなと思いながら、ちょっとは自由にやってみようか。そんな後日談。 狂いそうなくらい淋しい、誰もいなくなった世界。もう狂ってる気もする。これからもずっと、一人のごみ。
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