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2020/06/07(日)
放っておいてください。
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ヨブ記を読んで以後、心の中に、不思議な空しさがずっとある。悪いものでなく、珍しく良い感覚。 「わたしの生まれた日は呪われろ」「ほうっておいてください。わたしの人生は空しいのです」。 自分はヨブほど正しさも富も人脈も持ってなくて、同時にヨブほどひどい苦難にあったわけでもない。 ただ、同じ願いを持った空しさだけが似る。ヨブは偉いからちゃんと悔い改めて報われるけど。
コロナ情勢の中、礼拝をyoutubeで流す教会が増えて、いくつか見せていただいてきた昨今。 自分の誕生日の礼拝と、その一週後の友達の誕生日の礼拝を特に重視で見た。不眠のきっかけの友。 そこで受けたメッセージは「従順(素直)になれ」「生ける聖書との出会い」、「暗闇を歩く」「新しい生」。 忘れないようにここに書いておく。後二つ、今年の標語みたいなものも今の自分に微妙に合って、 「砂漠よ喜び花を咲かせよ」(咲かないけど)、「起きよ、光を放て」(暗闇だけど)、両方イザヤ書。 イザヤは罪でぐちゃぐちゃになったエルサレム(シオン)の、闇黒の時代に生きた預言者なんですと。 そんなぐちゃぐちゃ時代の内容が自分に通じる。というか偶然自作にもイザヤ書引用してるし。。 イザヤ書とコヘレトの言葉とヨブ記が旧約聖書での推し。聖書と神をたたえるアクマ。 それくらいなら名乗っていいかな。こっそり自分だけの中で。福音派悪魔とでも言うのか???
社会派にはなれないね。なりたかったけどね。現実的に、社会に何か貢献できる人間ではありたかった。 でも無価値なごみだから。周りをキラキラさせるために汚れていくのが一番と思う。絶えない悪魔の囁き。 空しい、虚しい、そう繰り返す。今はそれでいい。暗闇を手探りで何とか乗り切るだけの毎日。 アクマだからいつかゲヘナの谷に落ちるのかな。単にただ渇いて消えられたらいいのにね。ふむ。
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