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2020/06/06(土)
あくまになる。
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聖書を教えてくれた先輩に、最近、「自分はクリスチャンにはならないと思う」と言ってしまった。 別に期待されてたかはわからないけど、聖書に興味は絶えないけど、信仰者とは違うと思うと。 なのに不思議と、それを言って以来、解説サイトetcの神様の言葉がわりとすっと胸に入ってくる。 線を引いて距離を置いたつもりが、前より近くなったような。そんな不思議な感覚に、自分でも驚く。 「救ってもらうため」に信仰したくはないんだ、自分は。ただ、神様は凄い、と賛美していたいだけ。 そして人間はきたないものですよ、と神様に言い続けたいだけ。これは要するに、悪魔ポジだと思う。
実際、純粋にいち創作人として、やっぱり神様は神だと思う。聖書全体、すんごく面白かったので。 後代にどんどん二次創作されて2千年続く作品を書いて、暦にまでなってしまった方というわけだ。 それだけで確実に神。そして23億人を超えるファン。いやもう、唯一神で当たり前でしょ、これ。 自分は占いやら五行思想やらも好きだし、それだけ雑念の多い邪教の徒だからやっぱり悪魔。 悪魔もまた神の被造物というスタンスで。ごみを無理に救ってもらうより、ごみの意義を果たしたい。
「お前のような罪深い者は信仰者にはなれない」というのも、悪魔の囁きなんですと。解説サイト曰く。 悪人正機説とかでもそうだけど、神様は罪人の前でこそ大きな意味がある。世の成功者達ではなく、 石ころみたいな「その他大勢」のためにある。その意味では本当、自分にこそ神は必要だと思った。 神様くらいしか赦しても愛してもくれないよね、こんな無価値なごみは。それすらも信じられないごみ。 だから信仰者にはなれない。でも神の存在が必要な自分は認める。僅かに胸が落ち着いた気がした。 悪魔の囁きから逃げられない自分に神様は悲しまれるのでしょう。すまんです。それだけですね。
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