ぼや記2
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2020/05/24(日) 夜と霧とリビングバイブルとヨブ記。
タイトルが壮大過ぎてここで語れるわけがないと思いつつ。自分に多分大きな衝撃を与えた読み物達。
「それでも人生にイエスと言う」がいつからか座右の銘で、それは「夜と霧」を読んだからのはずなんだけど、
実は全く内容を覚えてない。でも内容解説とかみると覚えがあるから、読んだはずだと思うのだけど。
「人生に意味を求める」己もここから来てると思うし。正確には「人生から意味を問われる」だけど。

リビングバイブルは先輩がくれた読み易い新約聖書。ヨブ記は旧約聖書の中で出会った衝撃の章。
何と言うか、自分はヨブとは比べものにならない低俗な人間なのに、ヨブが自分と同じように苦しんでる。
ここにずっと書いてきたような苦悶が、そっくり似たような心が描かれてあるんだ。それにぞっとした。
「生まれてこなければ良かった」「終わりを願う」「誰もが私から離れていった」「ただ何故、と問う」。
ヨブへの苦難はあまりに理不尽だから当然の思いなのに、それでも友人達はヨブを責める。そこにも戦慄。
「あなたが何か悪い事をした罰に違いない」。でもこれ、友人達、ヨブを真剣に心配して言ってるんだよ。
あれこれ、「優しい嘘を言う偽善者達め」と最近周囲を罵っていた自分の、呪われた状況そのものでない。
重ねていうが、ヨブは義人だけど自分は違うから、自分は自分の咎だけど。でも堕ちた心の吐く言葉は、
ここまで人間、似通うものなのか。というか、自分はヨブほど苦しい目にあってないのに、という話だけど。

でも最終的に、ヨブのこたえは、「己の境遇の理由はわからない。でも受け入れ、悔い改めます」。
つらい。ヨブにはなれない。でもこれが正しい、と自分も思う。こうあれたら逆に救われるかもしれない。
ある意味蛇足のような結末では、神様はヨブの友人達の間違いを責め、ヨブは友人達を赦したとあって、
自分が友人達に感じていた違和感が、一応フォローされたのは良かったのだけど、それでもつらい。
確実に自分の根底を揺さぶられたと思う。自分は仕事も創作も何もかも稚拙な底辺者になったけど、
もう無価値とか恨みとかいちいち考えず、それを受け入れろ、というメッセージに思えてならない。
周囲が偽善者に見えても、感謝の心も大きいのだし、それ以上を求めるな、という戒めもひしひし感じる。

さて、どう消化していこう。ヨブと違って、自分の場合は自分が悪い。もう夜と霧のように隠されたい。
「それでも人生にイエスと言う」から、「夜と霧になれ」、それが自分の今のテーマ。さて、どうなる。


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