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2020/05/23(土)
旧約聖書。
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3年前に不眠になった時、偶然新約聖書をくれた先輩から、旧約聖書が読めるアプリを教えてもらう。 バイト探しもできてないここのところ、時間を持て余して、頭はぼけっとしてるけど読み始めてみる。 正直難しくて、30%も理解できてないと思う。でもとにかく旧約聖書は、読み進めるのが大事なんですと。 母は旧約聖書の方が新約より面白いと言ってたけど、自分はううんと悩みつつ読む。何せ解り難い。 でもところどころやっぱり、はっとするエピソードに溢れていて、新約も旧約も凄いと思いつつ。 しかし怖い、と思いつつ。「神に仇なす人間に罰を」みたいなエピソードが溢れてて怖い、旧約聖書。
今自分がこれだけ駄目なのも、自分のことにだけ拘って、神様を信じようとしないのもあるか、とか。 と言って自分は「我は主なり」と言えるようには絶対ならないと思う。ある意味それこそ畏れ多いから。 神様の存在らしきものはかなり信じてる。でも救ってもらえるような人間とはとても思わない。 救われなければいけないほど不幸でもなく、救ってもらえるほど救う価値のある人間でもないや、と。
そうしてうだうだ結局、クリスチャンにはならないなー。と思いながら読んでいると、旧約は怖い。 でも旧約聖書の解説サイトを見てみると、存外に神様、新約のイエス様のように優しかったりもする。 つらいなー。わからんなー。と思いながら、とにかく読み進めていたら、衝撃の章に辿り着いた。 続きはまた明日書こう。正直全然消化できてない。やっぱり聖書は学びに満ちているな。畏れ多し。 創作に逃げる気力も喪ってるから、読もうと思えるものがあるのはとてもありがたい。創作はもうだめだ。 そしてもうだめだということを受け入れろということなのかもしれない。降り損ねた駅に戻って降りないと。 でもそれを受け入れる、悔い改めるのはきっとつらい。ううん。消化できるかな、これ。
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