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2020/01/18(土)
砂漠よ
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荒れ野よ、荒れ地よ、喜び躍れ/砂漠よ、喜び、花を咲かせよ イザヤ書/ 35章 01節
これは砂漠に、「頑張って花を咲かせろ(命令形)」ではないらしい。 神の救いは必ずくる。いつか水が湧き出す未来は約束され、花が咲くでしょう、の意とのこと。
でも同じイザヤ書の章に、「その道は聖なる道と呼ばれ/汚れた者がその道を通ることはない」 とあるんだよね。8節。自分はこちら側だと思う。醜く枯れた雑草しかない、からからの砂漠で。
私の人生に花など咲かなかった。咲かせられなかったし、咲けなかった。 何もできずに神の救いを信じて待つより、何かして失望し、神を恨む方がまだマシという人生だった。 自分が「救われる側」だなんてどうして信じられるのか。それが、この自分の限界だと思う。
それでもこのからからの心に、こういう一節がタイムリーに与えられることは、とても、皮肉だ。
色んな人の厚意が多分、上滑りしている。悪いのは、自分。もう、受け止められそうにない。
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