|
2019/05/27(月)
わからん。
|
|
|
前回で、自分は相手の事情を自動的に取り入れる習性があるのではないか、という話を書いたけど、 その逆の、相手の事情を取り入れず、取り入れた方がいい状態をわからないパーソンも沢山いるぽいので、 世の中、不思議で仕方がない。自分が見た例は、忙しい人にお願い事をしたら一時間待ってと言われ、 一時間後、相手が「待たせてごめん、何?」と言ってきたら、「気にしないで」と答えられるらしい神経とか。 え? これ、別に社交辞令でなくても、「忙しいところごめん」と、こっちが返す場面でないの? でも相手の事情取り入れをしないタイプは、お願い事をする身なのに「気にしないで」と言えるっぽく、 そこで「ごめん」と、礼儀とかの問題で言わされる社会はクソ、というやりとりを見て、「???」……
それは、人間として、相手が忙しい時に自分の事をしてもらうのに、一時間後でも対応してもらえる事、 すごいことだと思えないのかな?? 普通、何時間後だろうと、他人は自分の事なんてしてくれんよ?? 相手が目上で自分が目下で、目にかけてもらっていい関係性であっても、あまりにお客様精神過ぎる。 人様が何かしてくれる事を、無条件に凄い、申し訳ないと考えるのが、私流の事情取り入れなのだけど、 それは「人間、助け合いなんて普通ない」前提の発想なので、こっちが歪んでいるのはわかるんだけど。 助けをお願いする対象に「気にしないで」と言える性善説パーソン、正直人間への信頼感が凄過ぎる。
「愛されたい」とかって、言える人もそうだよね。「愛が欲しい」とはかなり違う。前者は受け身だと思う。 もらえるべきと思える世界への信頼感が凄い。愛されるに値するという自分自身への無意識的な自信も。 待ってても誰も愛しちゃくれんよ? 何かを捧げても結局、それを捧げるから愛してくれるって取引なら、 「愛し合い」にはならない幻想に過ぎんのに。この辺の現実感覚、案外認識してない人が多いのか。 まあこれ、失望や絶望にしかならないしなあ……世の中の意外な楽観的さが、時々、本当よくわからん。
|
|
|