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2019/05/23(木)
恐れと回避。
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自分でずっと、自分が矛盾してると思ってきたけど、その大きな一つが、ここに何度も書いたような事。 人と繋がりたいのに、人間が嫌いなわけじゃないのに、誰と繋がっても結局は辛くなって、一人に戻る。 根本に物凄い人間不信があるのは自覚してる。誰もがいつか裏切る、というより、そもそも誰一人も、 自分みたいな人間に魅力を見出さないだろうから、無価値とわかれば置いていかれるな、という確信。 自分自身、しがみつくのも邪魔になるのも嫌だから、置いていってくれと思うし、まずもって信じてないから、 いつ置き去りにされても驚かないし、むしろ納得するし、引きこもってる方が楽だとつくづく思う。
それなら最初から、ずっと一人で、引きこもっていればいい。そういう回避型の対人関係に徹すればいい。 なのにわざわざ、大抵の場合自分から人に関わり、関わった事で相手の反応が怖くて必死に顔色窺って、 何とか事無きを得たらほっとして、もう自分からは介入すまいと、毎回思うほど誰の事も恐れてるのに、 ふっと何かで、誰かが目に映れば、また関わろうとしてしまう。よせやい、こりろよ、しんどいだけだろうって、 自分で嫌というほどわかってるのに。しんどくて仕方がないのに、何で、人間を嫌いになれないんだろう。 自分以外は全員敵と思ってるのに。家族も往々にして厄介事ばかり持ち込むから。誰の事も大体重荷。 それなのに人と無秩序に関わる自分が意味不明で、そんな関係の取り方を「恐れと回避型」というらしい。 自分でも理由がわからない無秩序。ただその場その場で、相手の出方や状況に反応してしまってるだけ。 この不毛な条件反射も、トラウマみたいなものだそう。本当にね、愛ではないから、自分もやめたいんだ。 そこにどれだけ醜い感情しか残らないか、自分が一番よく感じてる。できれば誰にも感謝していたいのに。
勿論自分も、色んな所で、色んな人に助けられてきてる。でもそれはほとんど、頼んだわけではない事で、 相手の気まぐれな厚意に乗っかっただけで。絶対長続きしないし、続くように望むのも我が侭とわかってる。 人間は助け合いなんて、自分は多分、一生信じない。なのにまた、関わろうとしていく。これ、やめたい。
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