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2019/01/31(木)
荒野。
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とりあえず、嫌ではないこと。は、辛うじて嬉しいことなのだろうと、理性で思い込むここ数日。 何をするのもほぼ嫌なわけだから、あからさまに嫌でなく動けることは、快いと感じてる……はず。 文芸部飲み会後、何かがもやもやして、朝方まで眠れなかったけど。会自体は良かったのに。 人数合わせで連れていった弟も、快く受け入れてもらえて、自分もやたらに肯定される毎度のパターンで、 参加してくれた上司や後輩が、概ね楽しそうにしてくれたので、それだけで、大成功なんですけども。 ほんとに優しい寛大な人達だからね。だからこのチキンな自分でも、飲み会なんて行けるわけだし。
それなのに、何だろうね。荒野に沢山、水をまいてくれるのに、それもほしいとは思っているのに、 一時的なものだし、そもそも種がもうないから、何も育たない心の荒涼さ。それがもやもやとする。 かけられた優しい言葉も、現実的なアドバイスも、全部、多分正しいし有難いと、理性ではわかってる。 自分と言うバカな人間を、少しでも楽にしてくれる道を、良かれと教えてくれてることは、凄くわかってる。 それでも去年からこっち、色々思い知ったから、はっきりと言う。それは、持てるものの余裕であって、 持たざるものにどれだけ残酷な言葉になるか、誰もわかってない。みんな厚意だから嬉しいけど、残酷だ。 こっちは到底立ち位置が違うのに、同じ土俵のふりをして応えなきゃいけないのは、どれだけ苦痛だろう。
金持ちが貧乏人に、あなただって○○すればお金を沢山稼げるようになる。と言っているようなもの。 実際そうかもね。でもさ、○○ができる人生なら、人によると思うけど、自分は多分やっていたよ。 その人達にはできることが、得られるものが、自分にはないから、こうなっている。その差を無視される。 自業自得だから仕方ないんだけど。心配されてるのはわかるから、何も言えなくなるんだけど。 優しさと残酷さは裏表なのを、優しい人達はもう少し知った方がいい。荒野のサボテンの、そんな我が侭。 この人達の優しさまで失ったら、本当に自分には、何もなくなるのにね。つくづく、面倒くさい重い人間だ。
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