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2018/08/30(木)
連投(笑
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ツイッターも冷笑系しか見てない、投稿サイトも完全ログアウトだから、心を吐き出す場がない(笑) 冷笑家さん達は、偶然かもですが、聖書へ理解が深かったり、呟きを吟味すると真っ当な人を追ってて、 だから世の中のおかしな事に黙ってられないのかと思ったりも。冷笑する楽しさも大きいだろうけど。
卑怯だから冷笑できない自分は、いい人面ばかりして、でも吹けば飛ぶから色々無理がきたと思われ。 どこにいても、自分は本当に良いなと思った人だけ、コメント送ったりする事にしてました。 でも、憧れの相手、自分とはレベルの違う人ばかりを追いかけたのが、まずいけなかったんだなと思う。 そうでないと好きにならないんだけど、あの界隈、ファン相手にはイイネや★を返さなきゃいけない、 妙な暗黙知がある。それどころか、私もあなたのこと好き、良い! って、実に簡単に言ってくる。 何人に言ってるの、それ。よっぽど審美眼がお粗末か、義理だとしか、こっちは受け取れないです。 でも交流したい。かいた絵や小説もどこかでは供養したい。けど、相手を義理でまた付き合せる事になる。 前に一度ギブアップした時も同じ理由だったのに、何であの後は、戻ったんだろうね。懲りないね、自分。
でも不思議だ。義理立ての相手は、向こうもそうして、社交辞令や義理で褒められて嬉しいんだろうか。 自分は基本的に、褒められるために創作はやってない。下手のくせ、やらずには生きられなかっただけ。 実力はほしくても向上心はない。ただ自分が納得できればいいだけで、それは退化も有り得る道だから。 対して、褒められるためにやる人の方が向上心があって、巧い事が多い。それも人生の罠だと思われる。 自分の好きだった作風の身内は、みんな、二次創作の方が好き。まず好きで楽しい思いが強いだろうし、 それでさらに、一次創作よりずっと褒められる。趣味も共有しやすく、二次の方が確実にコスパが高い。 それでも二次創作の罠は、本当に好かれてるのは自分じゃないって事。自分だから出せる味はあれど、 それが原作より良いと思われたとしても、原作は厳然とある。自分は一次≒原作至上主義はあって、 でも一次創作にはかなり、馴れ合いの闇がある。相互扶助しないと、見向きされない事も多いから。 ずっとそう感じてます。それで実力ある人まで義理立ての交流をしてるのは、見ててもやられても辛い。
馴れ合いは、自分の創作物をUPする事にも違う意味が生じるし、相手を好きな心にも不純が混じる。 違う、そうじゃないって心の悲鳴は交流できる嬉しさで塗り潰して、でも結局、急に無理がくる。 相手が義理と感じる自分は、どこまで妥当なんでしょうね。それを今、研ぎたくて、考えてる最中です。
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