|
2017/08/06(日)
憐れまれる資格もない。
|
|
|
どうにもならないくらいしんどい自分なのに、理解されずに、逆に笑われるという夢を見ました。 たまたまその夜、私の不幸は○○よりマシ、良かったねと、心配してくる人から励まされました。 ……それ、比較が必要だったの? そして、安心したのは誰? 私もそれで、納得すべきですか?
要するに、どれだけ苦しくても、それは傍からは取るに足らない苦しみ、甘えなのだという事。 自分が恵まれてる事は、わかっています。大人なら、その比較で幸せを感じられるものなのだろうか。
・立派な仕事、職場の人間関係も良い ・時間とお金はそこそこ余裕がある ・兄弟とは仲良くやっていられる
これだけあれば、他は何を贅沢いうのか。自分でもそう思います。 自分が苦しんでいるのは結局、恵まれたことの中の、裏返した現実にある制御できない部分。
兄弟以外心許せる人がいない。友達には去られる、兄弟もいずれは独立してもらわないといけない。 時間があっても、やりたいことがない。会いたい人もいない、会って喜んでもらえる気がしない。 お金があっても、特別ほしいものもなく、独り身だから節約して貯金しておかなければいけない。
やらなければいけない事は、沢山ある。家事、仕事、仕事のための勉強、身内の世話、相談役……。 どれも全く満足にできてなく、課題だけが積み上がっていく。「立派な仕事」に必要な職責努力も。 全ては自業自得、自分の心の持ち方次第と、これまでの自分の努力が足りなかっただけ。
やるべき事を、必死にやってきたつもりの人生なのに。小学生くらいから、既にしんどかったのに。 頑張り続けていたら、楽になれるわけじゃなかったんだと、いつか気付いた時にきっと心が折れた。 やるべき事をやってない時間に、やりたい事も最近は浮かばなくなり、ただ無気力に時を過ごすだけ。
それでも恵まれてます。最低限だけを何とか維持して、それで生きてはいける人生だから。 他には何もない。正確には、何かが楽しい、欲しい、それが得られると思える自分の心がない。 ただ生きていくことだけが目的の、生きてはいける人生は、苦しいと思うことすら許されませんか……。
|
|
|