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2006/09/12(火)
あんまりだよ。
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じぃちゃん。 築地金一
あと一週間ももたないんだって。 生まれてからすぐ母親を亡くし、養子として預けられ子供の頃から家事をし、少し大きくなったら戦争に駆り出される。軍人。戦争中は森の中で暮らし、虫や木の実を食べて生活。戦争が終わる頃、捕虜として敵軍に捕まり戦後何年間もタダ働きをさせられて、なんとか生きて帰国。 その後、結婚をして子供ができるが、生活は厳しく毎日、働き続けた。タバコは吸わず、酒も飲まない。小さい頃やっていたからなのか家事もする。じぃちゃんが働いていない姿など見たことがない。『みんなのために』働いていた。80を越えても僕が上って息があがるくらい高い山にある畑仕事を毎日していた。 自転車ごと海に落ちても ハブ(毒ヘビ)に噛まれても 生きていたじぃちゃん。 無敵だと思ってた。
でも病気には勝てない。 体の内部から壊れはじめた。 正月に会った頃はまだ元気に家事をしていたじぃちゃんが今では会話すらできない。 元気な頃、自分に病気があるとわかったじぃちゃんは自殺しよぅと思ったらしぃ。
軍人は 軍人らしく 不様な姿を見せたくなかったのかな? 『みんなに迷惑をかけたくない』と言っていた。最後まで言っていた。
お見舞いに行った時、もぅ意識がほとんどなくなっていて僕が誰だかわからなくなっていた。 誰だかわからず悔しかったのか…親戚が集まっていて自分が死ぬとわかったのか、じぃちゃんは人前で初めて涙を流した。強がりのじぃちゃんは涙を流したことがない。おそらく人前で泣いたのは生まれて初めてだろぅ。 呼吸がうまくできなくなったじぃちゃんは酸素を送り込まれている。ごはんも一ヵ月以上食べていない。体が腫れあがっていた。そんなじぃちゃんを見て僕は 『こんなの軍人らしくない。早く死なせてやりたい』と思ってしまった。じぃちゃんがそれを望んでいると思ったから。 医学の力を借りたらそりゃまだ生きていけると思う。苦しみながらね。僕は苦むじぃちゃんを見たくなかった。また泣いた。じぃちゃんは今の自分の姿が情けないと感じて悔し涙を流しているよぅに見えた。 あんまりだよ。 こんなに真っすぐ生きてきた人を最後にまた苦しませるなんて。 僕は母に気持ちを伝えた。『早く楽にしてあげたい。あの機械をとって死なせてあげたい』 と。 母泣きながら答えた。ちょうどそのことで親戚と医者と話し合いをしていたらしぃ。 で、決まったのが僕と同じ答え。みんなつらかっただろぅ。自分の父親を自ら殺すことになるんだから。 みんな泣いていた。
あなたならどぅしますか?自分の大事な人がこんな状況になったら… 機械を止めますか? 生かし続けますか?
こんな状況になっても涙一つこぼさなかった僕は冷酷なのでしょうか? なんだか僕は将来のために泣いたらダメな気がしたんだ。 福祉といぅ仕事はつねに死と隣り合わせだから。
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