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2006/04/10(月)
愚痴
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さっそく写真載っけるの、めんどくさくなってる。 文章だけでかんべんしてくださいまし。
新入生への部活動紹介やりました・・へええ、忙しかった!
わが演劇部は、なぜか「照明をかってでる」と自ら提案し、自らの首を自らの手でしめあげました。 私は部活動なんてあいしてないので、「絶対やめよう」と言いはってたんですが(うわあ) ウチのガッコの新歓は、かったるいのが特徴で、そんなに気合入れるとかならずウくとおもうんですよ。
部員みんなはがんばりすぎ・・・オイラ劣等生。 私は、すぐにあきらめます。妥協します。転換は脱兎のごとくはやいです。いいのかわるいのか! 『無理だ』と判断するのもはやく、『じゃあ代わりにコレをすればどうか』まで考えられるところはまだ救いだなあとおもうわけですが。
ということで私は「ここはやめたほうがいいんじゃない?」と言いました。 すると部員さんから「でも私は、こういうところであきらめたくない」と返ってきました。
私はどーにも心がヒネくれているうえに、許容範囲も小さい子のようにポツリと狭いのです。 いかん。 いいこぶりっこにしか見えない。オマエ、そう言ってる自分に酔ってるだろ。 ついイラっとしてしまった・・・うう。
私はめったな事でカチンとはこないはずなんですが、たぶんタブー的なモノがあるのだと。 自分が追い詰められるのにもすごく弱いし、自分で弱いと自覚しているところを突かれるのもいや。ついカッとなってしまうのよー。
ちいさいころから大事にしてるぬいぐるみがあって、昔、それを取られて遊ばれたんですよ。 そりゃあ子供の頃だから、他愛もないたわむれであって、ベツにイジメとか、そんなたいそうなモンではないんですよね。 ところが何を思ったか、そのときの私は、どうしようもないくらい逆上して、相手を本気で殴りました。
うわーイテー!ドン引き!!(笑) な、なんかここだけ読んでるとすげえイタイヒトみたいな事になってるけど、かつをさんは今も昔も、あっけらかんとしたノー天気さんよ!ノータリン!
これは、心理としては生理的な反応だと思ってます。 私はそのぬいぐるみに、自分と自分の家族のどちらもを投影して接していたんですよ。(まずこのへんで病的ですが) つまり、いちばん欲していて、いちばん大切なものね。 それを取りあげられただけで、本気で絶望というか、つらいとか悲しいとか苦しいとかいやだとか、そーいう負の感情?がいっきに降りかかってきたようで、ホントにリアルに目の前が白と黒だけになった気分がしました。 イヤな動悸がはやすぎて、血液が全身回らないであおくなってくかんじ。 「血の気が引く」ってのは、そういう意味で、ああいう嵐の前の静けさをあらわす言葉としてとてもうまくいえてるとおもうよ。
自分を囲ってくれてるシールドがはがれちゃった気がして、そういうときは自己防衛のために危害を加えるのが人間だそうです。
タブーとして、『自分にゲシッと(悪意で)踏みこまれる』がひとつ、そしてあとは『他人の、自分へのしらんふり,見てみぬふり,気付かない鈍感さ』 これはカチンときます。他人事ながら。
「わたしねー、ボランティアを強制させるヒトって許せない!だってボランティアはみずからやろうとおもっていくわけでしょ?」 無意識でも罪だとおもう、私。 偽善者にみえてしかたがないの。 『自分はしてあげるんだ、なんて傲慢さは、これっぽっちもわたしのなかにはないの。純粋に思ってるだけよ』・・・でも、心のどこかでは言ってる自分に満足しているんでしょう? って具合にさ、考えちゃうワケですよ、トホ。
繕うあたりが周到でいやらしいのです。 無意識に包み隠す、ってのも、アナタにまったく非がないわけではないのですよ。 まだ「企む」とか、意があって計画したほうが純粋なものだとおもいます。
あれ、部活動とおおきく外れてしまった。
要するに、腹ん中でジクジクと『自分エライ』をおもってると鼻につくというだけ。ただの妬みだったようです、ハイ(笑)
声に出さないでさー、いつでも逃げられる体制でいるのがさー、自分を好きなナルシストとしてはさー・・・そっちのほうが有利じゃん。せっこいじゃん! 自分ちっとも傷つかないで、いざとなったら逃げ道があって、おまえさん、そんなあまっちょろで自分を好きになってもらおうなんざ、ムシがいいってもんですぜ。
ヒトのことがいえないのに、というかだからこそ鼻につくタブーでした。 うわあかつをさんったらネクラ!! ときどきふと思うんです、こういうこと。ごめんなさい。 (こんな自分、自分でもイヤだよ)
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