|
2014/05/24(土)
魂という名前の
|
|
|
上手に絶望したい。
成長する上で、希望と絶望はマーブル模様だと思うのです。 新たな知識を得て、可能性を知る。 将来の自分に起こることを夢想する。 同時に、 新たな限界を知り、不可能を知る。 もう決して自分には怒らないことを学ぶ。
自分には一生分からないであろうことが、子供の頃に予想していたよりずっと多かった。 普通の自分も特別の自分も夢想したけれど、こんなに欠損した自分は想像しなかった。 美しいものを沢山知ったけど、美しさと合わさって自分の気持ちを動かす沢山の物を知ってしまった。
魂の存在なんて信じていない。 それは「存在」じゃなくて「定義」だと思うから。 でも、私がここに生まれた事実をそう呼んでもいいような気がする。 宇宙の広さと地球の座標、進化と文化の壮大な流れ、有象無象の中に有る私固有の位置と含有するデータ。 そして、今までの私から出来上がった、現在の、この瞬間の私という1パターン。 魂があるのならば、その膨大な情報の集合が存在するという「一点」だと思う。
こんなにも出来ないことが多い。 こんなにも体験したことが少ない。 こんなにも望んでいることがあって。 こんなにも諦めていることがあり。 好きと嫌いと愛憎がある。
私には、今から希望することはきっとあまり無い。 希望出来るようなことは、そこに向かって動いてしまうと思うから。 けれど絶望は違う。 それを知って、そこに許容を拒み、けれど、諦める。 受け入れないという拒否と、その現実を認識するという許容。 今からでも、幾らでもある、死ぬまでの間に。
上手に絶望したい。 希望を沢山与えてもらって、それを消費してきたから。 今度は絶望を、上手に呼吸しないといけない。 だってそれが出来ないと、私は諦めて生きられない。 生きる為に必要な諦めを、得られない。
|
|
|