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2014/05/28(水)
戦うことと生きることを
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こういう話もどうかと思うのですが。
争いたいとは、思いません。 競いたいとは思っても。 痛い思いはしたくないし、一方的に何かされるのも嫌い。 人が自分の物を奪おうとしたら、抵抗します。
個人の間の、スタンスはこれ。 では、もっと大きくしたら?
喧嘩さえしたくないのに、集団でなんて、とても嫌だ。 コントロール出来ない状況が嫌いです。 でも、コントロールされる状況は、もっともっと、大嫌い。 されるぐらいなら、私は戦う。 それはつまり、生きるということだと思うのです。 誰だって殺したり殺されたりしている。 人間が強いシステムを持っているから、なかなか殺されるという実感が無いだけで。
でも、今も一方的に緩やかに殺されている人達はいる。 例えば資源と土地と文化を奪われたら、それはやっぱり殺されるということだと思う。 そして今自分は、その立場になろうとしていると思う。
戦争反対、という言葉はいい。 争いたくないという意志。 でも、「だったら、どうするの?」 それが聞こえない。 声が小さい。 そっちを、大きい声で言って欲しい。 争わない為に、武器以外の何で戦うのか。 だって、戦うことは避けられないのだから。 生きることだから。
生きることを奪われ支配され緩やかに滅んでいく。 戦わない為にそれを許容したいというのなら、すごいことだなと思います。 私には、とても無理。 自分だって嫌だし、自分の周囲の人々にそれが起こるのも許せない。 私は戦う意思があります。
殺すと言われたら、殺されかけたら、殺そうとしている人を見かけたら。 その時に私に出来ることがあればする。 殺す意志を持っている方を止める為に、私が殺さなければならないなら、その意志を持ちたい。 それが、私の戦うという言葉の意味です。
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