|
2012/01/10(火)
車椅子
|
|
|
一時期、本当に短期間ですが車椅子を使用してたことがあります。 松葉杖は使い辛かった。
車椅子を使用してみて、特に私自身はこれという暗い気持ちは持ちませんでした。 視界が低いなとか、トイレに行くまでの通路は狭いなとか、子供とは目が合うなとか。 そういう感想しか。
人の注目という点では、なかなか絶妙なものだと思いました。 皆、見るけれど、礼儀や忌避でもって巧みにそれを反らす。 多数の知らない人間の目って、意外と気になりませんでした。 これは私自身がそういう性質なのもあると思います。 注目はあまり怖くない。 だから、目立つ怪我でもおかしな格好でも、自分の納得さえいっていれば平気で外に出られる。
そもそも私には若干の不具萌えというか、医療萌えみたいなものがあって。 実際には苦しく面倒なものだと分かっていても治療痕にはときめきます。 だからというのもおかしいけれど、怪我やその痕に対して「恥ずかしい」という感情はとても薄くて。 他者の魅力だと感じるぐらいなので、あまり自分でもマイナスに感じませんでした。
先日、知人が短期間ですが車椅子を使用することになって。 それを写メで見たのですけど、衝撃を受けました。 とてもよく体の動く人が、あの器具を必要としているその事実。 初めて、車椅子の悲しさみたいなものが理解出来て、自分で遅いなと自嘲しました。
私の足なんてあってないようなものです。 自分にとってはそれは重大ですが、他者にとっては大して重要でないような。 実際、車椅子の時も立つことは出来たしそんなに困ることは無かった。 でも、私が憧れ慕う機動性を持つ人からそれが失われる。 それはかなり痛みの強い出来事なのだと気付いた訳です。
結果、車椅子には萌えが無くなったかというと、結論そうでもありませんでした。 じゃあなんだよ!?と思われることでしょうが。 ちゃんと認識できただけです。 マイノリティにも好みというものがあるということが。 よく間違えるんですよね!駄目です! 典型的な「ゲイ=男なら好き」みたいな駄目意見でした! 車椅子は車椅子でも、私が好きなのはもっと消極的な綾波系統の萌えでした。 それがもうあるがままとして受け入れられている、その状態。 そう言えば怪我でも、傷というよりは治療萌えなんでした。 こなれないと消化出来ない性質だったんだ私。 再認識。 いやあ、意識が甘いのを確認出来ました。 良かった! 良かった?
|
|
|