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2011/12/16(金)
鴉
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絶望的なものって、一度読むと止まらなくなります。 もうどんどん読んでどんどん引き摺られて、一緒にどっか沈んでしまいたくなる。 落ち込むのは結構気持ちが良いことだと思うんですよね。 勿論、一時的なものでないと困りますが。
小説とかでもいいんですけど、日記でも割と読みたくなります。 ただ、そんなに見かけない。 中二ポエムや、愚痴や、何年も続く絶望したよ主張が見たいんじゃないんです。 それなら私だって思春期終わってからこっち、ずっと自分に絶望してます。 自殺する人の直前の日記とかも、一時期は読んだのですが今は探してません。 むしろ、明るいさっぱりした人の書く悲劇みたいなものの方がずっと好き。
平凡な生活の方が、ずっと、なんだかこう、辛いような気がします。 産むこと、生まれること、育つこと、歳をとること、必ず死ぬこと。 育児とか炊事洗濯とか買い物とか介護とか、そういうこと。 そういうのの中の絶望感の方が、それでもどうしようもない分、ずっと虚しい気がして。 例えば季節が変わってしまうことの虚しさとか、そんなのを好みの文章で読みたいです。
小説で好きな文章を書く人の日記は、やっぱり結構な確率で読み易いです。 ただ、私が文章を好く人はあんまり日記を書かない人が多いです。 どういう人なのかなって、想像も出来ない。 好きな文章の人が書いてくれた絶望感はとても貴重なので、魚拓にして保存したりします。 例えば、親戚の死亡についてだとか、ペットの老衰に関してだとか、割と小さなことを。 そういうのを、すごく良い文章で書いてくれたりするので。
実際に聞いた話を反芻したりもします。 その場合は、その人の人格も含めてか、或いはよく知らないでいる必要があります。 死の話や恋の話、病気の話や怪我の話、外見や性別や金銭の悩み。 どれも聞かせてもらえたことが財産な、とても貴重な記憶ばかりです。 友人の自殺の話とかは、結構数を聞いたので整理してしまったりしましたが。 私にも死んだ友人はいますし、私も死のうと試したことがあるので。 単純な、或いは単純にしか理解しきれない死の話より、生活の話の方が貴重なのかも。
絵で、漫画で見るのも好きです。 そういう表情を書くのが特に上手な人も、いますね。 どういう生活でそういう人になったのかなって想像します。 このキャラクターにこういう状況と表情をどうして持たせようと思ったんだろうって。
タイトルは休載で有名な人の昔の白書の爆弾の人です。 あれを読んだ時、イタイと思いつつも共感せずにいられなかった。 今は、自分の生まれた意味とかそういうのがどうでもよくなったのであまり。 思春期って悩みの宝庫だったな。
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