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2010/08/28(土)
お盆
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お盆の思い出、というのがある。
本家の門の向かい、祖父母の家で親戚が集まった。 そこで茄子の牛と胡瓜の馬を備え、供物に榊でみずをかけ、線香を折って束にしたのを備える。 今はもうぼんやりとした記憶だけれど、そんな感じだったと思う。 茄子と、あれは豆腐だろうか? 何かを刻んである供物がとても不思議だった。 死んだ人の食べ物だと認識していた。
綺麗な色柄の盆提灯は大きく、房が付いていて立派だった。 仏間に釣るしてあるのを、玄関に運ぶ。 背が小さくて引き摺るので、持たせてもらえなかった。
祖父母が体調を崩し、家のあった場所が道路予定地になり。 あの古くて埃っぽい暗い家は、壊されてしまった。 茗荷の生える庭に繋がれていた犬も死んだ。 きっとあの盆提灯も、処分されてしまっただろう。
それでも、あれは私の「お盆」の思い出。 私という人間を作る上で、とても大事なパーツだと感じる。 死んだ人がいて、親戚がいて、子供達もいる。 あの、人間に延長線があるという、あの感覚。 夜に行われる密やかな儀式の思い出。
私に子供が出来ても、その子にはあの思い出はない。 古い家は無くなり、親戚が集まる数も減り、迎え火も送り火もしない。 私は祖先に感謝しているし、あの暖かく静かな行事が好きだったのに。 それなのに、正しい知識も持っていない。
ふとそれを思って、寂しくなった。 私が死んでも、迎えは無い。 迎えたい人々を迎える礼儀も、私は持たない。 それはとても寂しく切ない、心苦しい気持ちになる。
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