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2010/06/11(金)
好きと嫌い
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ひとまずメモるべきかと思った。 「「暴力的ビデオゲームはほとんどの子供には無害」と研究者」 http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1006/10/news050.html まあ、周囲を見てればそれは分かってた。 うちのメンバーの趣味だって、問題はいっぱいだもの。 ペドにSM、AV集めに欠損趣味、本もゲームも結構なアウトゾーン。 でも誰も、特に人を傷付けたりしない。 一番暴力的な人だって、ちゃんと限度は分かってる。 そんな趣味なくても、うんと酷い人達が沢山いるのも、分かってる。
個人的に大嫌いだけれど、発言は本当に、新聞でもTVでもどんどん流して欲しい。 「【石原知事会見詳報(1)】「亀井氏はしたたか。ニヤニヤ笑っていると思うね」」 http://sankei.jp.msn.com/politics/local/100611/lcl1006112119002-n1.htm 本当に嫌いな人が二人も続けてトップになってしまうとは。 三人目の‘正直’であればいいのだけど。 これで支持率上昇なんて、印象操作としか思いたくない。
どうしてそんなに気にするのかと考えても、答えは無い。 大人になったら、好き嫌いで決めるなと言われるようになった。でも、違うと思う。 自分自身の好き嫌いを基準にして、そこに覚悟と責任を持てるのが大人じゃないの。 結局のところ、好きと嫌い以外に一体何が物事を決められるのか。 私は好きで生きて、好きでこんな人間でいて、好きでここにいる。 好きになりたい物を好きになり、好きなままでいたい。 嫌いな物をこの世から消して、好きな物で埋め尽くしたい。 安定して安心して、幸せだーって満足しながら死にたいのが普通でしょう。
自分の好きと嫌いが移り変わるのは、楽しくて怖い。 好きな物が少なくなると、人生は単純で楽になるけど。 でも好きな物が無くなってしまうと、楽しいと思う気持ちも無くなる。 生きていても仕方が無くなる。 嫌いな物は、増えていくばかり。 でも、嫌いな物を許せる物と、許せない物に分ける作業が出来るようになった。 子供時代の嫌いな物は、逃げるか、後回しにするかしか出来ない。 でも今の私は、どんなに小さく脆弱な人間でも、それでも大人。 嫌いな物を学習し、攻撃し、邪魔することが出来る。 どうにか出来るという希望を、無理やりにでも持つことが出来る。 嫌いな物が消え去るのを楽しみにすることも覚えた。 どうせ攻撃欲や憎しみの喜びは、誰の中からも完全には無くならない。 正しい嫌い方を覚えないと、何もかも嫌いになるしかなくなると思う。 そうしたらもう、全部壊すしかない。 好きも嫌いも捨ててしますしかない。 私はそういう死に方をしたくない。
イベント追加。 6月18日〜7月5日 「宮西計三・個展「見世物小屋」或は「舞臺裏」」 同時開催「The Other Side 〜拘束と解放〜」 http://www.yaso-peyotl.com/
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