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2010/04/09(金)
相対性
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「チラ裏の倉庫」 http://chiraurasouko.blogspot.com/2010/03/blog-post_9721.html 読める読解力がない。 でも後でメンバーに解説して貰おうと思ったので貼っておきました。
所謂「厄介な隣国」に関してとか、話し合いのはずのやりとりを読んでいて苦しくなることが多いです。 意見や情報を読めば誰でも何かしらの感情を抱くのは分かる。 でも彼らの言葉には、その感情があまりにも反射的に表れている様な感じを受ける。 人の感情を読むのは疲れる。 書くなと言うことも出来ないけど。
感情を出すのは、気持ちが良いし正しい気分になる。 それを我慢するのが大人だなんていうのは嘘だ。 でも、意図が足りないと思う。 考えるのとそれを言葉や文字にして外に出すのは、違う。 とてもとても違う。 自分の意見だと言っても、伝わるようにしてしまえばそれは人との接点。 ノートに書いて机にしまっておくのならともかく、ネットにそれは言えない。 外に出す以上はそれを読む人間が絶対にいる。 そこに思いが及ばないのはまぬけなのだと、自分では意識しようと心がけているのだけど。
「●●人は皆詐欺師で、恩を仇で返す」 「そんな悪口は自分を貶めるなんていう意見は、甘い奴の言うことだ」 それを言いたい気持ちや、意見を明示したいという動機もよく分かる。 でも、そこには意図が足りているのだろうか。 自国の、同じ意見の人、反対の意見の人、啓蒙したい人。 他国の、反対意見の人、同じ意見の人、まだ何も知らない人。 その全員が読んでも‘良い’ように書いて欲しい。 理想としては。 狡猾でも、「彼らの中に見方がいるのならばそれを増幅しよう」と考えてみてはくれまいか。 丁寧な言い方では目覚めない人間を感情的な言葉で叩き起こして、使い物になるのかどうかとか、考えて欲しい。 最終的には感情は抑えられコントロールされ、ここぞと言う時に発露されるのが効果的だから。
最近政治家も、皆あまりに発言が間抜けなんじゃないかと思う。 口から出て言葉になり他者に伝わる、その重大性が分からないのか。 注目された場所で口を開くことの恐ろしさが分かっていないんじゃないかと疑う。
今までに日露戦争時代の日本が好きだという人を数人見かけた。 広報や戦略の緻密さ、精密に練られた意図が優秀で素敵なのだと。 私もそれが欲しい。 誰が読んでもいいように、将来引用出来るように、並べても恥ずかしくない様に。 常に読まれることを考え、自分に有利な方向を目指せる発言をする。 その戦略的な、意図の操作。 聞く側に聞かせる言葉、読む人に読ませる言葉。 自分に対して相手がいると言う絶対的な意識。 明確な敵というものと対峙する機会が少ない昨今、この意識を維持出来る方法を探している。
この日記では随分自由に無責任に書いている。 それは匿名性と、読む人として長年の友を想定している上でのこと。 それなりにセーブはするけれど、でも私にとって読む人間は何時でも自分の敵ではない人間なのだと思う。 知ってほしい共感して欲しいと言う気持ちでしか書かないのは、楽なことだな。
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