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2010/04/02(金)
死相観
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自分の将来を想像すると、大半が「孤独死」になる。
死体が長期間放置されるのはごめんだ。 迷惑にもなる。
でも、病院で死にたいと言う気持ちにはあまりならない。 例えば、ナースコールに手を伸ばした姿勢の自分の死体を想像する。 なんだか未練が残りそうだ。 日本では「ホスピス」もなかなかイメージし辛いし。 第一、資金を用意出来そうにもない。 年金も苦しいだろうし、家族を持てる望みも少ない。 今のままでは、国がどうなるか分からないけれど。
家で死ぬというのも、なかなか迷惑だし難しい話だろう。 死亡届や検死など、面倒そうだ。 後々そこに住む人も気分が良くないかもしれない。 樹海での白骨化は割合に理想だ。 誰も自分のことを知らない、海外での死もちょっと良い。 でも、日本に戻りたいとどこか思ってしまうけど。
一人で死にたいというのは、おかしいだろうか。 家族に看取られるのが幸せだと、誰が言い出したんだろう。 大抵の人は病院で人に囲まれて生まれてきたのだ。 独りで死んでもいいのではないか。 自分の人生の、最後の締めくくり。 確固として自分のものである死。 それを独りで過ごす。 満喫すると呼んでもいいのでは。
これはマイノリティなんだろうか。 誰かに囲まれた死は、あまり望ましくない。 「愛する誰か」という気持ちになったこともない。 親にも子供にも看取られたくない。
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