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2010/02/09(火)
疑念
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「外国人参政権への反対署名、盗難か 兵庫・加西市議会事務局」 http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/100208/crm1002081427018-n1.htm 明らかに内部の妨害じゃないか。 怖い怖い。
BONESという海外ドラマに、陰謀主義?の学者が出ていて。 その人は実家が資産家か何かで、それが理由かは分からないけれどよく政府やマスコミを疑う。 私はそれは、一種の防衛だし、社会との潤滑作用だと思うのです。 普段からただ政府を疑い、UFOやウイルスの情報を探るのでは、暮らしていき辛い。 でも陰謀主義者なんだと言っていれば、それを周囲が認識するし、ネタにしてくれる。 ラべリングというか、そういう方法は、皮肉だけれど必要な方式なんじゃないかな。 疑わないわけにはいかないんだから。
実際身の回りの裕福な人は大抵人間関係にシビアです。 上手くまとめられないけど、疑うべき出来事が起きたら、やっぱりそれは疑うべきだと思うのです。 友達と飲みに行って財布からお金が消えたら、次から警戒するか、もう飲みに行かないか。 なんにせよ決めるのは自分の責任。 「友達を疑うなんて良くない」って言葉の意味が分からない。 疑われるような人間は友達にもなれないっていうの。 非道で屑で最低な人間でも、どっかが好きならそれで友達だよ。 そう思わないと、もう誰も許せない。
心底から信じられる人間てそんなにいないのが普通だし、それは友達の条件じゃない。 疑いつつも楽しく一緒にいられるなら、その方が良いような気がする。 他人を心底から信じるっていうのは、条件じゃなくて願望だと思うから。 相手に信じている自分を押し付けることのような気がする。 他人だから信じられないわけじゃない。 自分だって結構いい加減なんだから、他人に完璧を求めるなんてしないだけだよ。 理想と願望で現実は整頓出来ないよね。 もし出来たら、もうその時は生きなくてもいいような気がしてくる。
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