|
2010/02/04(木)
「エコール」
|
|
|
映画「エコール」を見ました。 面白いかと言えば、笑う様なものでも、スリルを楽しむものでもなかったです。 ラストシーンもすっきりしません。 ですが、映像が綺麗でしたのでもう一度見ようと思っています。
そして立派なロリータ・コンプレックス持ちの一端として、これはロリコン映画では無いと宣言出来ます。 ロリコン自体が必ずしも肉体的な意味での性的ではないけど、少なくともセクシュアルな映像では無かったので。
原作と、同じ原作から作られたもう一つの映画についてのあらすじを読みました。 そちらに関しては、それなりに性交渉のモチーフがあるのかもしれない。 でも、この映画はそうではないと思いました。 綺麗な夢を思い返す様な気持で見れましたので。
裸体が映ることに関して抵抗感がある人もいるようなのですが。 むしろそちらの方が不思議です。 子供の裸体が性的だと考えるのは、考える方の問題なのでは。 そうでなければ、何故乳児は性的ではないのか。 一体何歳から性的になるのか、どの面積から性的になるのか、それを誰が決めるのか。 そんなことを考えるよりも、美しさを美しさとして見ればいいのにと思います。
性は、在るものです。 これを読まれる方にも、十中八九、性器も乳首も存在するでしょう。 子供にだって確実に性別は存在し、肉体にも社会にもそれが付属する。 自分達が容姿で見定められることを、女の子が何歳で知るかと言えば、それは物心ついた時です。 ほとんどすべての少女が年齢が一桁のうちから、自分が性的搾取と願望の対象になることを知ります。 それが売買されることを知るのも、今はとても早いでしょう。 日常のことが映画で描かれることが、とりわけ異常だとは思いません。 むしろ私にとっては、明るく無垢で優しく、邪気の無い少女の方がずっと象徴的で性的です。 それは見る側によって描かれる夢想の投影なので。
そして酷評に対して酷評をすれば、これが性的だと感じるのは見る側の目だけです。 性は単品では、性「的」ではない。 交渉があって初めてそこに欲望や欲求が生まれる。 複数を必要とする時、映像の中に無い片側は、映像の外、見る側にあるのでは。
少女同士の愛着やいじめも、特に異常だとは思いません。 自身が女子校で長期間過ごした身として、これはこういうものだとしか。 私は昔少女でした。 その前には幼女でした。 その頃の自分には生物としての若々しさと、人間としての未熟の美が確かに在ったのだと思います。 自分の現在の容姿に比べ、それらを肯定することは余りにも簡単です。 性的だと言われても、それは見る側のこと。 若い鹿や仔猫が魅力的なように、幼く若い少女達は魅力的です。 後者が性的だと言うのはペドフィリア、前者が性的だと言うのが獣姦趣味? それは判別する側の、余りにも無粋な思考です。
美しい映像を美しいと思うのに、何故そんな疲れることをと思います。 綺麗でした。 昔少女であって、現在ロリータコンプレックスを持つ身として、やはり同じく。
|
|
|