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2010/12/04(土)
生涯者
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差別意識が無くても、古い言葉で聞くとどきっとすることがある。 例えばつんぼ、とか、めくら、とか。 あれは昔は普通の言葉だったのだろうな。 でも私は、受けた教育上で良い風には聞き取れない。
体育の先生が、障害者という言葉は良くないという考えだった。 「障害になっている人」という話しぶりだったけど。 でも私は単に、障害はその人にとっての障害だと思っていて。 自分でも体が強くないのだけど、もしそう呼ばれたら嫌かと考えると、そんなに嫌ではない。
弱者の名前は悪口にもなる。 でも、弱者は弱者。 それはだって、どうしようもない。 普通に出来ないのはしようがないことなのだから、手加減して貰いたい。 だからその認識の為の名前が付くことを、嫌がれはしないな。
小人プロレスが差別的だと言って廃止される時、当人達は嫌がったという話を聞いた。 それはそうだと思う。 だって彼らの収入源であり舞台だったのだから。 それを才能と呼んだって良かったはずだ。 モデルは美しさを、大きさを、売り物にしている。 小ささを、或いは醜さだって、何故売ったらいけないのか。
現在では、障害者プロレスというものが存在している。 私は見たいとは思っていない。 格闘技がそんなに好きではない。 でも、弱者の立場で闘えと言われたら、それを売れるのなら、出来るのでないかと思う。 弱いことはそんなに悪いことではないよね。 幸いにも、この、今の、この場所の、社会では。
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