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2009/09/05(土)
ヤマアラシ
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自分が強くないと、 自分に才能が無いと、 自分に力が無いと、 自分が優れていないと、
出来ない付き合いがある。
相手と自分の力関係と言うのは、大事だと思う。 「するかどうか」いうこととは別に、強制或いは拮抗する力が「存在する」こと。 相対しても押し潰されないでいられる、それを相手に知らしめられる。 表面張力の様に自分を保つ、それだけの意思を叶えられる力。
例え相手を害したとしても、持たなければいけない、存在と言う一種の暴力。 棘の無いヤマアラシは誰とも支えあえずすぐに食われる。 多少の傷が付いたとしても、互いが認識しながら存在し続ける為に、力が必要。
私の好きな人々は時々、人より長く鋭い棘を生やしている。 それでも一緒にいたいし、なるべく理解を提供したい。 もしも私が誰も傷つけないでいられる生き物だったら、今よりももっと分かりあえなかった。 棘が無ければ生きていけない場所に並び立つ為、隣に添っても私が傷付いて去ってしまわない為。 その棘ごとの相手を許容する為。 私にも棘が必要になる。
今はあまりにも苦労が無くて、敵も苦痛も目に見えない。 棘を忘れたら、付き合えなくなる人達がいるのに。 楽な環境、誰とも争わない気楽さは、素敵だ。 でも、今の私は棘の長い人々の隣にいられないだろう。 棘が無い私を見ることが、棘に刺されるだけの私が近付くことが、私が棘に刺されることが、相手を害する。 互いにマイナスばかり嵩んでしまう。
私はもっと頑張らなければいけないな。 折角、大切に楽なようにとしてもらっているのだけど。 これでは外に歩いていけない。 頑張っている人の隣へ近付くことが出来ない。
個人だけの話ではないと思うよ。 むしろ、集団でこその話なのだと思う。 感情や意志が薄れるほど、力は直接の形になるから。 対等であることは、需要よりもきっと闘争に近いはず。
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