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2009/08/03(月)
嫌悪感と好奇心
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大変限られた方への話になるのですが。
サイトでも本でも何でも、書く側と見る側の需要と供給が一致しないのはよくあることです。 「自重しろよ見ちゃったらキモいだろ」系統の摩擦が発生するのも当然でして。 更に絞ればBLとかペドネタなどなわけですが。
でも、見たくないものは人それぞれあるわけです。 BLが嫌いな人もいればGLが嫌いな人もいるでしょう。 エロ全部NGな人もいれば、二次創作そのものが嫌いな人も結構いるわけです。 オリジナルのノーマルなのが一番苦手だって人もいるんです。
でも、あれは最終的に「見る側の責任」だと思ってます。 だって、目の前に突き付けられたわけじゃないんですから。 不慮の事故に遭いたくなければ、ネットを断つなり何なりすればいいわけですし。
何より、自分がそんなに拒否を感じたことが無いので理解が難しいです。
十代始めで近親監禁暴行を見た時にはちょっと落ち込みましたが。 トラウマ治療は二度踏みが原則だと思ってもう一回見に行ったら平気でした。 むしろねじまき鳥な例の小説のカワハギ描写の方がよっぽど食欲落ちました。 中二病期には死体の写真とか興味があったんですが。 今見たら別に面白くも何ともないただの死体でした。 写真は変わらないけど、私は変わったので。
BL見てもGL見ても、反発を感じたことがありません。 身近にマイノリティ多かったからかな?とも思いましたが。 でも、初めてそういう人々に出会ったのは結構育ってからなんです。 ちゃんと知識や教育を受けたということもないですし。 家族など、割合に前世代的な人々です。
初めて女装した男性を見た時、初めて同性同士の性行為を知った時。 気持ち悪いと思うか思わないかって、どこで分かれるんでしょう。 分かりません。 社会的・教育的に決定されるのかと思っていたんですが、もしかしたら意外に先天的な要素が大きいのかも。 或いは、先天的な要素の方が教育を上回るとか。 だって私は、変態なので。 だから平気なんだろうと言われてしまえばそれまでです。
でも、不思議だなと思うんです。 良くも悪くも、ただの他人。 誰と寝ようが、どんな性癖だろうが、害さえなければどうでもいい。 それなのに、憎しみや嫌悪や拒否が発生する。 それはどんな気持ちなんだろう。 それは何が理由なんだろう。 好奇心で以て、その仕組みに興味が止まらないのです。
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