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2009/08/29(土)
拒絶と嫌悪と侮蔑
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http://sankei.jp.msn.com/world/mideast/090629/mds0906291418002-n1.htm
イスラム教は、嫌い。 原理主義が、鳥肌が立つほど嫌いだから。 頭の中で人種差別や児童虐待と同じ分類になっている。 知識不足や先入観を認め、ポジティブな側面も認める。 でも、それでもなお、嫌い。
特に女性に対する態度は、とてもとても嫌い。 守るという言葉が体に向けられているのが嫌。 一方的に価値を押しつけられ、その価値だけを守られるなんて奴隷と何も変わり無い。 意思、願望、欲望、意欲、主義を守られるのが、その人を守るということだろう。 本人の意思に寄らない保護は束縛と同じだし、怠慢の一つだ。
男女と言う二分を頑なに押しつけるのも嫌。 染色体でさえなく、ただ表面の形だけ。 それだけで様々な物を押しつけ、そして取り上げる。 勝手過ぎる。 それを、勝手だとも思っていないなんて。 腹が立って、腹が立って。
この世に生まれた女の子にはなるべく沢山、ほとんど全部に、「今の自分で良かった」と思っていて欲しい。 女の子に生まれた自分を誇り喜び、生きて死ぬ。 そうして欲しい、心の底から。 勿論男子にだって、そう思って欲しいけれど。 でも男性は、筋力が弱いとか体格が小さいという理由で家に閉じ込められたりしない。 好きな時間に好きな場所を歩いただけで、レイプされて当然だなんて言われない。 異性と席を同じくしたり、無理矢理体に触られたなんて理由で嬲り殺しにされたりしない。
夜道を自由に歩けるなら、外泊の許可が簡単に出るのなら、駅で寝泊まりしても軽蔑されないのなら。 男性に生まれたい。 今からでも手術したいぐらいだ。 形なんて、そんな、自分の体なんて、本当はどうでもいい。 もっと自由になれるのなら、乳房も子宮も手放せる。 男性に「友達」と思ってもらえるのなら、女性の慰めに役立てるなら。 私は男性でも良かった。 今よりももっと男性だったら良かった。
それでも今の自分でいるのは、既にあまり女性で無いから。 形が雌の、今の私の方が、喜んでくれる人が多いから。 私が生きていくのに、都合が良いから。 ただそう生まれことを、肯定したいと思うから。
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