|
2009/08/28(金)
目標
|
|
|
人生の目標とか、生きる意味なんて言葉好きじゃない。
募金と言うものを滅多にしません。 知識を持ったら単純に「良いこと」だなんて思えなくなったからです。 そしてメンバーの、「貢献したければもっと真剣にしろ。自己満足目的の行為としては下劣な方だ」という意見に共感したからです。
本当にそこに貢献したいかどうか考えた時、疑問は幾らでもある。 どこの団体で、どのくらいが実際に使われ、どのような効果を上げるのか。 それを知らないままで、人に育ててもらい、自国への貢献さえ薄い自分が簡単に金銭を投じていいのか。 難病の子供達って、実際にどんな難病なのか、お金で解決出来ることなのか。 子供達が教育を受けるのは素晴らしいはずだけど、最高の教育を受けたはずの子供達は現在果たして最高なのか。 地雷で手足を失った人に義足をプレゼントして、それでその手足を使って何がなされるのか。 盲導犬は足りていないかもしれないけれど、何の意味も無く繁殖させられ殺されている犬猫の数の方を先に気遣うべきなのでは。
どんな問題も、考え始めるときりがない。 少子化を解決って言うけれど、本当に少子化は問題なのか。 人間が減れば環境問題や資源問題は解決したりするんじゃないのか。 今私が救った一人の子供が年数経て繁殖し、その子孫が環境に壊滅的な打撃を与えたりはしないのか。
結局、何かの為になりたいと思ったら「好きなもの」の為にしかなれないのだと思う。 それでずっと私は、十分に自分に満足を与えられる対象を探してきた。 人生のオプションの様なもので、私程度の人間の、趣味程度の努力では、誰の役に立てるわけでもない。 でも、あれば私がもっと満足して人生が過ごせる。
最近、それを見つけることが出来た。 今までもずっと好きだったし、これからも嫌いにはならない。 考えてみれば今までも、身近な部分でこれにばかり拘り、力になろうとしてきた。 これの為になら、他が多少損なわれようとも構わない。 今まで虐げられてきた部分が多く、時代的にも応援し易い。 私の嫌いな宗教へ抵抗することにもなる。 ただ思いついただけのことだけれど、これで私の人生は確実に一つ満足度が上がった。 こうやって私も大人として鈍感に傲慢に、そして幸せになるのだろうな。
|
|
|