|
2009/08/23(日)
大勢の決する
|
|
|
書きたいことは沢山ありますが、頭の中で練っているうちに段々とただの言葉が渦巻くイメージになってしまっていて、上手く読める文章に出来ません。
一人ではない以上付き合いというものはあって、それは何時でも誰にでも悩みの種だと思います。 自分が自分であるということが相手を損なうことでもあるし、相手が自分を好きだとも限らない。 けれど、嫌いだって殺すわけにも、付き合わないわけにもいかないです。 自分や自分の大切な何かが食い物にされるかもしれない。 それなのに相手を損なうわけにも、説得するわけにも、逃げるわけにもいかないような気分です。
我慢して我慢して、出来る限りに提供してやって、相手のことばかり耐えてやって。 努力し、懸命に考え、真摯に尽くし、皆が満足するように頑張る。
それは辛いことです。 苦しくて痛くて重い暗い道。 その苦痛を親から受け取り子供に手渡し、愛する身近な人に仲間に、先の苦痛をお願いする。 そんなことしたくなくても、そうしなければ「無くなって」しまう。 続けなければならない。 子供自身のの幸福を願う親としては苦渋の選択だ。 もしもそれを自分の親が嫌がったとしても、子供としては意に反してでもそれを受け取らなければならない。 一番楽でいて欲しい人達に、苦労に満ちた未来を託すことになるのを許容しなければならない。
けれどそれでも、それで皆が幸せなら、それでいいのか。 自分はそれでいいのか。 それを幸せだと思えるのか。 そんな強さが有ると確信出来るのか。 出来なかった挙句に、食い物にされた挙句に、責められ詰られた時に何と思うのか。 恨み無力なままただ滅ばなければならないのか。 そんな時にも自分の力足らずを後悔しなければならないのか。 そんな最期が嫌でも、今から相手に「何か」しなければならないほどに嫌なのか。 今度はそうやって始まった争いを、子供に手渡しするので良いのか。 どちらの方が希望があるのか、どちらの方が「良い」未来なのか。 何を「良い」と思うのか。 奉仕し食い物にされるのと、争い損ない合うのと、どちらが私にとって愛情なのか。
なんともまとまりませんでした。 でも、私は、今何をすべきかなんてことを未だに考えたいのです。
|
|
|