DaysFragments
四人が書く順番や割合はランダムです。内容は各個自由に。
毎月、一日にイベント予定等が載っています。
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2009/08/31(月) 夏の終着点
皆様選挙には行かれましたか。
色々と、本当に沢山の、考えも意見も有ると思います。
メンバー同士だってそれなりに意見が違ってしまう。
しかし祖国の平和と幸福、充足を祈る気持ちは同じだと思いたい。
メンバーに出会えたのも、今までの幸せをくれたのも、この国だもの。
不満も不安も多いので、神様という名前の誰かではない、森羅万象に祈りたい心地。
怖いです困ります苦しみたくないです助けて。

今年も夏が終わってしまう。
個人的には旧暦、というよりもむしろ体感で過ごしているので未だに夏だけど。
先取りばかりの世の中にはついていけない。
でも私はゆっくり歩きたいんだ。
好きな時間をゆっくり、嫌いな時間を駆け足で。
誰だってそう思うのでは。
皆で一緒に歩いたって、どうせ足が遅くて外れてしまうんだから。
だったら虚勢でも自分の意思でゆっくりと歩きたい。
進める距離は短くて構わない。
その分、人の邪魔になる距離も短いだろうから。

けれど明日からも、それなりに美しい日々であるのは確か。
楽しく生きていたいです。
はしゃがなくていいから、ああ嬉しいなと思いたい。
贅沢者め。

>拍手を下さった方
有難う御座います。
励みになります。
 

2009/08/30(日) 夏の終盤
月終わりは重くて長い日記が増えます。
月が変わると表示されなくなると思うから、気兼ねなく。

好きな人が自分のことを好きになってくれるなんて信じられない。
付き合って嫌われるぐらいならば、そこそこの好意の方が良い。
好きな人と好きな人が好き合って幸せならば、多分それが一番良い。
自分だって一人は嫌だけれど、選ぶのは好きな人ではなくていい。
合う人・便利な人と一緒にいたい。

一緒にいることの安定感はフィクションだと思ってる。
唯一無二の存在なんて感情が理解出来ない。
明るさや朗らかさの背景に死が有ることを当然のことと信じてる。
孤独感が癒されるなんて、虚構なんでしょう?

そんな自分を大嫌いですが憎くは有りません。
一番身近で、一番惰性が強く、好きかもしれないけどまあ多分好きじゃないね。
それは自分だと思う。
 

2009/08/29(土) 拒絶と嫌悪と侮蔑
http://sankei.jp.msn.com/world/mideast/090629/mds0906291418002-n1.htm

イスラム教は、嫌い。
原理主義が、鳥肌が立つほど嫌いだから。
頭の中で人種差別や児童虐待と同じ分類になっている。
知識不足や先入観を認め、ポジティブな側面も認める。
でも、それでもなお、嫌い。

特に女性に対する態度は、とてもとても嫌い。
守るという言葉が体に向けられているのが嫌。
一方的に価値を押しつけられ、その価値だけを守られるなんて奴隷と何も変わり無い。
意思、願望、欲望、意欲、主義を守られるのが、その人を守るということだろう。
本人の意思に寄らない保護は束縛と同じだし、怠慢の一つだ。

男女と言う二分を頑なに押しつけるのも嫌。
染色体でさえなく、ただ表面の形だけ。
それだけで様々な物を押しつけ、そして取り上げる。
勝手過ぎる。
それを、勝手だとも思っていないなんて。
腹が立って、腹が立って。

この世に生まれた女の子にはなるべく沢山、ほとんど全部に、「今の自分で良かった」と思っていて欲しい。
女の子に生まれた自分を誇り喜び、生きて死ぬ。
そうして欲しい、心の底から。
勿論男子にだって、そう思って欲しいけれど。
でも男性は、筋力が弱いとか体格が小さいという理由で家に閉じ込められたりしない。
好きな時間に好きな場所を歩いただけで、レイプされて当然だなんて言われない。
異性と席を同じくしたり、無理矢理体に触られたなんて理由で嬲り殺しにされたりしない。

夜道を自由に歩けるなら、外泊の許可が簡単に出るのなら、駅で寝泊まりしても軽蔑されないのなら。
男性に生まれたい。
今からでも手術したいぐらいだ。
形なんて、そんな、自分の体なんて、本当はどうでもいい。
もっと自由になれるのなら、乳房も子宮も手放せる。
男性に「友達」と思ってもらえるのなら、女性の慰めに役立てるなら。
私は男性でも良かった。
今よりももっと男性だったら良かった。

それでも今の自分でいるのは、既にあまり女性で無いから。
形が雌の、今の私の方が、喜んでくれる人が多いから。
私が生きていくのに、都合が良いから。
ただそう生まれことを、肯定したいと思うから。
 

2009/08/28(金) 目標
人生の目標とか、生きる意味なんて言葉好きじゃない。

募金と言うものを滅多にしません。
知識を持ったら単純に「良いこと」だなんて思えなくなったからです。
そしてメンバーの、「貢献したければもっと真剣にしろ。自己満足目的の行為としては下劣な方だ」という意見に共感したからです。

本当にそこに貢献したいかどうか考えた時、疑問は幾らでもある。
どこの団体で、どのくらいが実際に使われ、どのような効果を上げるのか。
それを知らないままで、人に育ててもらい、自国への貢献さえ薄い自分が簡単に金銭を投じていいのか。
難病の子供達って、実際にどんな難病なのか、お金で解決出来ることなのか。
子供達が教育を受けるのは素晴らしいはずだけど、最高の教育を受けたはずの子供達は現在果たして最高なのか。
地雷で手足を失った人に義足をプレゼントして、それでその手足を使って何がなされるのか。
盲導犬は足りていないかもしれないけれど、何の意味も無く繁殖させられ殺されている犬猫の数の方を先に気遣うべきなのでは。

どんな問題も、考え始めるときりがない。
少子化を解決って言うけれど、本当に少子化は問題なのか。
人間が減れば環境問題や資源問題は解決したりするんじゃないのか。
今私が救った一人の子供が年数経て繁殖し、その子孫が環境に壊滅的な打撃を与えたりはしないのか。

結局、何かの為になりたいと思ったら「好きなもの」の為にしかなれないのだと思う。
それでずっと私は、十分に自分に満足を与えられる対象を探してきた。
人生のオプションの様なもので、私程度の人間の、趣味程度の努力では、誰の役に立てるわけでもない。
でも、あれば私がもっと満足して人生が過ごせる。

最近、それを見つけることが出来た。
今までもずっと好きだったし、これからも嫌いにはならない。
考えてみれば今までも、身近な部分でこれにばかり拘り、力になろうとしてきた。
これの為になら、他が多少損なわれようとも構わない。
今まで虐げられてきた部分が多く、時代的にも応援し易い。
私の嫌いな宗教へ抵抗することにもなる。
ただ思いついただけのことだけれど、これで私の人生は確実に一つ満足度が上がった。
こうやって私も大人として鈍感に傲慢に、そして幸せになるのだろうな。
 

2009/08/27(木) 悔恨の必要性
個人的に迷惑を被ったので半ば愚痴に近いです。
だが六割辺りは普段からの義憤だと言い張りたい。

少女売春を援助交際なんて名前で呼ぶべきではないと思う。
そして、子供への罰が緩すぎると思う。

子供と大人の性行為は、悪いからしてはいけないのではない。
殺人と同じで、「社会がそう規定し法が定めたので」してはいけないことだ。
そこに売買が存在することが罪なのだから、麻薬取引と同じぐらいに罰するべきだ。
買った者、売った者、仲介した者、未成年を管理出来なかった親。
そこまで厳しく罰して、初めて意味も効果もあるだろう。

児童ポルノだって同じだ。
単純所持を禁止して、それで何になる?
児童ポルノの何が悪いか分かっていないのか。
何よりも大事なのは、被害と被害者を出さないことだろう?
まず搾取を禁止して、他はそれからだ。
児童ポルノとして売られなければ、売春自体はマシだと言うのか。
買うより売るより、作った奴の方がずっと問題に決まっているだろう。
まず、作った奴には二度と同じことが出来ないようにすべきなんだ。
カードも口座も持てなくするぐらいは基本。
取り扱いをした店舗やそのサイトが置いてあったサーバ管理者へのペナルティ。
撮影者、場所提供者、出演者全ては勿論、児童とその親への罰則が絶対に必要だと思う。
麻薬だったら、売った方が罰を受ける。
春だって、売っていけないのに売ったら罰を受けるべき。
子供には罰がいらないなんて、そんな戯言誰も言わないだろう。
社会が悪いとしても、その結果を矯正するのはやはり社会の役目だ。
被害者と言っても、攫われて無理矢理強姦されたなんて子供の方が少ないのは誰でも知ってる。
無知に基づくのだとしたら、それは何故の無知だ?
児童売春が禁じられているのを知らない子供がどれだけいる?
悪いと知らずにやっている子供なんてどれだけいる?
法を犯して罰も受けずに可哀想と言われることが、その子にとってどんなことなんだ。
良いことだなんて絶対に思わない。
 

2009/08/26(水) 日記更新
そう言えばですが、この日記は複数書き込みになっています。
書く順番や書き込み数の割合は、時期によってバラバラです。
ただ忙しい時でも、最低この数ぐらいは書こうと言う取り決めは有ります。

前以て先の日付の日記を書くことが出来るので、自分が確保したい日付をマークしておくことがあります。
マークと言っても、ただ空欄でその日付の日記を投稿するだけ。
そうすると空欄の日記が出来るので、そこに他が書き込みません。
ですが、日記を書きこむ前に日付が変わると空欄日記が投稿されます。
この日記で結構頻繁に空白の日記がupされているのは、そういう理由です。

何だか無性に物悲しい季節になってきました。

月光カフェのアリス豆本欲しいですが、趣味費削減中なので悩みます。
体調を崩してしまい、収入が激減で。

なかなか作品とか写真とか更新しませんが、色々作ってはいます。
ただ自分の生活用品ばかり手を付けているので、出せる物が無いです。

メンバーとは、最近よく下らないオタク話をします。
何だか世間を重く苦しく感じる気分なので、助かっています。
紹介する人を選ぶ漫画家推薦とかしています。
ちなみにトップが凛野ミキ、植芝理一、玉置勉強。
平野耕太とかG=ヒコロウは絵さえいければいけるかもしれないとか。
高橋葉介とか諸星大二郎になると大御所なので年代もあるねとか。
林田球はグロ耐性必要かとか、動物好きには篠原烏童だとか、そんな感じの。
浅田寅ヲは全く理解追いつかないけど美しいよねとか、言って同意がもらえるのは嬉しいです。
 

2009/08/25(火) 国政
不安も期待も疲れます。

以下は一つの基準。
飽くまで‘一つの’と意識しなければならないのが、また疲れるけれど。

「2009衆院選〜ひと目でわかる候補者選び」
http://kokueki.sakura.ne.jp/senkyo2009/
「選挙へ行く前に知りたい、放送され無い政治家の思想と実績」
http://senkyomae.com/

心配なのです。
私だってこの国が好き。
好きな物が沢山あって、好きな人が沢山いるこの環境が好き。

「財政赤字カウンター9」
http://www.kh-web.org/fin/

上記は分かり易い不安。
数字に右往左往してしまわないように気を付けるつもりではいても。

正直、最近生活が危ない。
勿論危ないと言ったって、所詮この国の貧困。
食料の量と安全度が死なない程度に落ちるぐらいなもの。
路上で凍えることもなければ、身を売る必要さえ無い。

でも、これ以上は落とせない。
国やら文化やらのことを考える程の余裕を無くすことは出来ない。
衣食住以外のものだって、これ以上は削りたくない。
必死になるのは嫌いじゃないけど、必死な自分は嫌い。
困るね。
 

2009/08/24(月) 尻尾
最近日記が重苦しいので、和む画像を。

それぞれ書きたいことが尽きないのは嬉しいこと。
でも、疲れると全部駄目にしてしまうかもしれないし。
 

2009/08/23(日) 大勢の決する
書きたいことは沢山ありますが、頭の中で練っているうちに段々とただの言葉が渦巻くイメージになってしまっていて、上手く読める文章に出来ません。

一人ではない以上付き合いというものはあって、それは何時でも誰にでも悩みの種だと思います。
自分が自分であるということが相手を損なうことでもあるし、相手が自分を好きだとも限らない。
けれど、嫌いだって殺すわけにも、付き合わないわけにもいかないです。
自分や自分の大切な何かが食い物にされるかもしれない。
それなのに相手を損なうわけにも、説得するわけにも、逃げるわけにもいかないような気分です。

我慢して我慢して、出来る限りに提供してやって、相手のことばかり耐えてやって。
努力し、懸命に考え、真摯に尽くし、皆が満足するように頑張る。

それは辛いことです。
苦しくて痛くて重い暗い道。
その苦痛を親から受け取り子供に手渡し、愛する身近な人に仲間に、先の苦痛をお願いする。
そんなことしたくなくても、そうしなければ「無くなって」しまう。
続けなければならない。
子供自身のの幸福を願う親としては苦渋の選択だ。
もしもそれを自分の親が嫌がったとしても、子供としては意に反してでもそれを受け取らなければならない。
一番楽でいて欲しい人達に、苦労に満ちた未来を託すことになるのを許容しなければならない。

けれどそれでも、それで皆が幸せなら、それでいいのか。
自分はそれでいいのか。
それを幸せだと思えるのか。
そんな強さが有ると確信出来るのか。
出来なかった挙句に、食い物にされた挙句に、責められ詰られた時に何と思うのか。
恨み無力なままただ滅ばなければならないのか。
そんな時にも自分の力足らずを後悔しなければならないのか。
そんな最期が嫌でも、今から相手に「何か」しなければならないほどに嫌なのか。
今度はそうやって始まった争いを、子供に手渡しするので良いのか。
どちらの方が希望があるのか、どちらの方が「良い」未来なのか。
何を「良い」と思うのか。
奉仕し食い物にされるのと、争い損ない合うのと、どちらが私にとって愛情なのか。

なんともまとまりませんでした。
でも、私は、今何をすべきかなんてことを未だに考えたいのです。
 

2009/08/22(土) 巡廻回路
何の為に日記を書いているかという自問はもう、数年間繰り返してきました。
PCさえ無くたって、日常は続く。
文章にしなくてもここに書いているようなことは考えるし、それを話したりする。
特に「誰にも言えない」みたいなことを書くこともそうそうない。
そもそもネットで公表する程の文章は書けない。
じゃあ何でかと言えばやっぱりメンバー達とのフィードバックなんだと思う。

私達は互いにしたい生活があって、すぐそれに手いっぱいになる。
自分一人ではそれで限界なのに、それ以上に持ちたい思考が有る。
その為に四人の繋がりは必要で、でも仲が良いと言い切れる間柄でも無い。
だから毎日メールしたりなんて、とても出来ないし望めない。
チャット会議だって、生活習慣が変わってから随分と不定期になった。
でも、日記を書きに来る。
日記を読みに来る。
意見を交わす訳でもなく、ただ書かれたことを読む。
それが今適切な距離で関係で、私はそれが失いたくないので今こうして日記を開いて文章を書くんだと思う。

こういうことだって、実際本人達には何だか気まずくなってしまって言えない。
でも書けばいいと思うから、発散されないわけでもない。
楽だ。

リンクの孔雀洞様で万華鏡の発売が。
万華鏡はあまりに好きなので、一年に一つしか手に入れないと決めている。
でも、夏をテーマにした物は特にツボにはまってしまって難しい。
名前とか添えられたイメージとか、もう堪らない。
「夜半の雨」なんて、この名前と色と文章だけで脳が澄んだ所へ飛べそうだ。
紫水晶が入っているなんて、いつも手元に置いておきたい。
無論装身具も素晴らしい。
「真夜中の正装」なんて、とてもとても欲しい。
こちらは自分が相応しい装いを出来ないと分かっているので、諦めるのも容易いけれど。
 

2009/08/21(金) まだ夏
旅行に行っていました。
写真が日記に載る可能性が高いです。

夏コミに行けなかったのが心残りです。
今回は珍しいほど本当に、行きたかったので。

9月7〜13日の「天体少年論」を1日のイベント予定に追加しました。

今後の予定が詰まっています。
日記がさぼりがちになるかもしれません。
おおよそ通常運行です。

何故帰化しないのか心底分からない。
「「永住外国人への地方参政権付与」/「容認する?」」
http://sankei.jp.msn.com/life/lifestyle/090820/sty0908201225003-n1.htm

http://sankei.jp.msn.com/politics/election/090820/elc0908202219025-n1.htm
もね。
行って謝ればいいのにとか思ってしまう。

実体化党のチラシは任せてくれればもうちょっと上手いこと書いて見せる自信がある。
生意気な小学生ならボコボコにつっこめるよあれは。
 

2009/08/20(木) 再開
夏季休暇終了。
夏も残りが少ないです。
また夏が終わってしまうのかと思うと、本当に寂しい。

夏は何故だか全てが切なくて苛烈で、蕩けていて息が切れる。
そこが好きです。
もう、好きで好きで鬱になってしまいそう。
私の中の悲惨な部分が沢山夏には芽を吹くような気がします。

更新準備の為に、「人形」のリンクを切りました。
 

2009/08/19(水) 夏季休暇G
画像はデザインフェスタギャラリー。
使用されていない部屋。

写真を撮るという行為は、絵を描く行為に近い位置にあります。
視覚的な表現という意味で。

目に入り、脳に入る情報。
それを今度は出力する。
その際に情報は、自分と言うフィルターを通る。
更には、何を出力したいかという選出もする。
写真であっても、決して‘そのまま’ではない。

写真をよく加工します。
でも「現実に近付ける」とか「綺麗にする」というよりは、「自分が見ている状態に近付ける」ことが多いです。
特に、人工物で無い物、風景などは。
それが自分にとってどういう意味なのかよく分かりません。
ただ、そうしたい。
自分にとってどれだけ世界が綺麗なのか、人に見せたいのかも。
 

2009/08/18(火) 夏季休暇F
外の空気。

深夜、窓の外に若者の声がするので窺った。
暗い住宅街、街灯とマンションの灯り、信号の点滅。
その、空気の、匂いが。
あまりにも夏で、思い出したように夏で、切なくなってしまった。

一体何の香りなんだろう。
切ない、懐かしい、嬉しい。
苦しい、愛しい。

夜の散歩は好きです。
安全な国に住んでいて良かった。
危なくても、歩くかもしれないけれど。
それほどに好きだけど。
 

2009/08/17(月) 夏季休暇E
空いている電車は好き。

愛したいと愛されたいは、非常に同位の要望だと思うのです。
例えば私が誰かを愛した時には、きっとその友人や家族をも愛したいとも考えるでしょう。
その人の町や国や、趣味や専門分野も可能な限り愛したい。
そして逆に私の周囲、私に連なる人達。
つまり自分の家族や友人や同じ国の人々にも、私と同じものを愛してほしいのです。
しかしその為には、そう考えてもらえるぐらいに私が強く愛されていなければならない。
その人達の意見を変えてしまうぐらいに強力な魅力を、私が持っている必要がある。

だから愛情というのは強い動機で、過酷な課題だと思っています。
ですが世間ではこれを愛情とは呼ばないらしいですね。
自分の頭の中身が少しおかしいであろうことは、知っています。
でも、私はこの執念をそう呼びたい。

 

8月絵日記の続き


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