DaysFragments
四人が書く順番や割合はランダムです。内容は各個自由に。
毎月、一日にイベント予定等が載っています。
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2009/07/16(木) コンプレックス
「それで、何でもくれるって言うからさ」
「うん」
「じゃあ童貞くれよって」
「ん?あ、えええ!それで?」
「永久保存しといてやるから、って」
「鬼か…」

容赦無いのが好きです。

人間、コンプレックスの影響は実に絶大。
でもそれは、問題ではないと思う。
異性を選ぶのに、無意識に生物学的に有利な選択をさせられているのと同じ。
これも、きっと個体の条件を調整する装置の一種。
だから私が思い切りよく自我の強い人ばかり友達に選ぶのも、結果の一つ。
これで「どうにかなる」ものがどこかにあるんじゃないかな。

そう言えば白人コンプレックスって、あまり無い。
金髪大好きだけど黒髪も赤髪もスキンヘッドも大好きだ。
白肌良いけど褐色も外せん。
むしろ人外色だって範囲内だ。
なんだ、ただのオタク脳か。
三次は惨事かもしれないけど、惨事で抜けて初めて人間だってメンバーが。
蓮コラぐらい余裕になれよと言われた時のことです。
それはいまだに無理なんですが。
鳥肌立っちゃう。
 

2009/07/15(水) 蜻蛉
切ない話が嫌いかと言われると、難しい。
おそらくは、好き。
けれど、切なくする為に作られた話が好きではない。
読んで切ないと感じるのは好きなのだけど。

そもそも、切ないという言葉が人とずれているのかもしれない。
違うものを感じているような気がする。
構成要素で言えば、悲しいが少なく、空しいと諦めが多め。
あとは諦めに決意が配合されているので、苦しさが少ない。
晴れて曇りな空の様に、明るく無機的な灰色。
或いは、止まった時間の安らかさに似ている。
あとは、延長線上に野蛮さがある。

切ないと感じさせる為に書かれた話は、そんなに切ないと感じられない。
切ないと感じたものを他の形で表現する話になら、もっと共感出来る。
だから、商業的な物よりも同人や日記で切なくなることが多い。
オタクだったりニートだったり、一般的なメンヘラだったり。
そういう人のひたむきさや、壊れ方、社会とのずれ方。
見ていて愛しく、切ないもの。
特別な人生より、特別になれない人生の方が、ずっと儚い。
 

2009/07/14(火) がっこう
「怖い先生」がいたことがない。
生徒の方がずっと怖い。
教師はせいぜい大きな声を出したり、面倒事を押し付けてくるだけ。
殴りもしないし、閉じ込めもしない。
手を一度でも上げれば勝ちに持ち込める。
だから、先生が怖いという気持ちがずっと分からない。
大人は怖くても、少なくとも学校にいる間だけは安全ならば。
それなら全然、先生って怖くないじゃないか。
多分私は、生徒の方に必死だった。

学校は、好きと言えば好き。
職場よりも上下の差が開いていて目的がはっきりしている。
少し軍隊に似ていると思う。
元々社会で戦う為の場所だから、そういうものなのかも。
私は自分に必死で、あまり学べなかったけど。
ただ媚び方は割合に学べた。
それをちゃんと感謝している。
役に立つ技術は何でも、持っていて困りはしない。
えこひいきされるのも、いじめられない立場に回るのも、ちゃんとした才能だ。

以下、一応。
ペドフィリアはいないけれどロリータコンプレックスはいる。
メンバーが逮捕されては困る。

「STOP!今そこにある「漫画・アニメ禁止法案」」
http://svcm.moemoe.gr.jp/
「架空創作表現規制禁止の法制化を求める署名」
http://www.shomei.tv/project-1025.html
「止めろ!規制社会・監視国家ブログ版」
http://kitaharak.exblog.jp/
 

2009/07/13(月) 離反
私はいつか本当に、本当に、手術を受けるかもしれない。
所謂性転換というような。

女性に生まれたことには、心から感謝している。
それは本当に、何度選びなおしても捨てたくない奇跡だった。

ただ、男性に生まれなかったのが残念だ。
心から、本気で。

そんなことどうして思うんだと言われても、分からない。
でも今まで生きてきて、この歳になって、やっぱりそうとしか言いようがない。
女に生まれて、かつ男に生まれたかった。
それが出来ないのなら、どちらでもないものに生まれたかった。
欲張りと言われても変態と言われても、これが自分にとって自然なことなので。
大人になって思いついたのではなく、物心付いたころからの思考なので。
なので、どうしようもない。

ホルモンとか、色々難しいのは知っている。
けれどこれから耐えきれなくなったら、具体的には二十八九。
いつか、やってしまうかもしれない。
それでも、形を弄るだけならば決して後悔しない自信はある。

ただ、今より若さを失えば、私は女から年寄りになるのだろう。
その時に、自分の体にどの程度の関心があるのかな。
大金かけて弄るほど、肉体に執着があるのかな。

こういう人間が、世の中にどれぐらいいるんだろう。
トランスのXとは違うんだろうか。
 

2009/07/12(日) 静養
浅草のほおずき市、行きたかった。
今年は薔薇園も紫陽花も見逃しそうだ。
勿体ない。

二名が体調を崩しています。
片方はいつものこと。
片方は珍しいこと。
困ってしまう。
一か月以内には復帰してくれる予定です。

民…自でもよかったのに。
相変わらずと落胆するより、変わらぬことに落胆する方がまだマシなのに。

愛着を持つ暇ぐらい与えてくれ。
 

2009/07/11(土)
この蒸し暑さ。
楽ではないけれど好きです。
如何にも日本と感じられるし。
それに、何だか空気の濃度や密度が高いようで。
四季はどれもそれぞれ、特別ですが。

「日本の女」「母」で、まず思い浮かぶのは和服に髪を結った中年の女性。
若い女の子はあまり思い浮かびません。
うっすら暗い中にいる、座っている着物の女性。
どことなく和紙を連想する、室内の空気に馴染みの良さそうな肌。
優しいとも惨いとも思える、黒い瞳。
あまり楽しそうではない、けれど苦しそうでもない、曖昧な表情。
無表情と、穏やかさと、日常臭い残酷さ。
動きが制限される和服、抑圧。
家事をする手、肉のついた身体。
そんな女性が、じっと座っている様子を連想する。
何だろうか、どこかで見たのだろうか。
和風のホラー小説の挿絵か何かだったのかもしれない。
私はその連想が、少し怖いので。

大らかさは残酷とも言える。
抑圧は秘匿とも言える。
明るさは無遠慮ともとれるし、しとやかさはもどかしさにもなる。
そういう矛盾を全部飲みこんで、隠してしまう。
それでなお、穏やかにしている。
そのイメージがある。

タイの方の戦時の日本に対する「アジアの母」という言葉の連想かもしれない。
「母」の、イメージが強い。
特に男子としての目線で見る母のようだ。
黙って坐したまま、子供を護り支配し慈しみ、時には殺すような母。
恐ろしく、忘れられることが無く、根源の象徴でもある存在。
どちらかと言えば陰陽のうち陰で、終着点としても連想される人物。
女性としての抑圧を受け、親としての抑圧を施す。
優しく許容する時には犠牲者のように従順で広大。
叱り罰する時には鬼や修羅の様に絶対的で恐ろしい。
その肉が自分を作り出し、その血が乳として自分を育てた。
限りなく近しいが故に、一番の拒絶も与えられる。
母にとって子供はいつまでも子供であり、誰にとっても母はいる。
だから誰もその影響から逃れられられない。
逃げたつもりでいても、最後の扉を開ければきっとそこにいる。

何も、産んだ存在としての母だけではない。
産まない者も、産めない者も、必ず母としての自分を意識する。
その選択・機会が無かったという意味で「産まぬ母」なのだと思う。
それを非難する人もいれば、侮蔑する人もいる。
女性であることと母になることがほとんど同義だと思っている人は多い。
産む道具だと思っている人だって多いだろう。
そこに、言葉が出来て以降の文化と、獣としてのヒトの間の何かがある。
それがとても、怖い。

どうも書けば書くほどまとまらない。
獣としての雌と、人間としての女。
その両方に跨る母と言う、状態或いは表現。
文明や言語がそこに与えた、差別、侮蔑、見下し、蔑視、憧憬、盲信。
産み増える、存在するという拘束力、支配力。
当たり前に産み生きさせるという傲慢。
そこに纏わる恐怖を含んだ畏れの思いは、自国に対しての思いにどうも近いようだ。
自分に対して、それ以外の全てに対しての愛情で有り憎しみで有り、尊敬で侮蔑で。
要は「外界」の象徴、そこへ繋がる道のイメージがある。
やはり、私にはどうにも書ききれない。
こういうことをもっと優れた言葉で書いている人が、絶対にどこかにいるはずなのに。
御存知でしたらお教え頂きたい。
 

2009/07/10(金) 道のり
舗装されていない道が好きです。
土の道は、凹凸も多いし埃も立つ。
それでも、アスファルトよりずっと好き。
それは、自分が楽に歩けるからだろうと思っていました。
年齢や怪我で歩くのが大変になったら、そんなこと言えないかもしれないと。
でも今、歩くのが大変な状態になってみても、歩き辛い土の道が好きです。

脚を患っているので、動ける範囲が随分と減りました。
動いた方が良いというのなら、痛くてもどんどん動いたのに。
じっとしているのが苦手なので、動けないのは辛いです。
一日がひどく長いし、思考や感情が平坦になる。
苛立ちや怒りが薄っぺらくなって頭蓋の裏に沈着する感じがして、気持ちが悪い。
これを何かに昇華出来ないものか…。

「窓際個展」
http://kujaku.info/
これにも、是非伺いたかったのに。
19日までの延長だそうですが。
万華鏡!鉱石標本の豆絵本!
歩けないだけで、こんなにも不便だとは。
 

2009/07/09(木) 癲狂
「俺のこと愛してる?!」
「ううん!〈好き〉にとどまる!」
そんな友情にしてはギスギスした感じの会話でよく通行者に二度見されます。
でも実際には友情と愛とそんなに違わないと思う。
本当に人でなしでロクデナシな友達いるから、いつか被害を被りそう。
その時点で後悔しなければ、それは友情。
したらそれ以下。

そう言えば、最近某国の「起源は俺」を聞きません。
何故だろう。
ネタが無くなったのか、次の何かに流行が移ったのか。

動画サイトの「〜みたい」というコメントは何故書くのかが分からない。
思ってしまって書いたとしても、せいぜい一個で十分だろう。
称賛でも非難でもないのに皆で同じこと幾つも書く意味あるのか。

日常の多くは、切り捨てられる。
「大したことで無い」で終わってしまう。
若者が「繰り返しの日常」を退屈と思うのは、生物的なものだと思うな。
十代を過ぎたらそれは大分無くなった。
趣味が増えたからではない。
ただ単に自分の活力が衰え、そんな自分に慣れたから。
あとは、少々頭がおかしくなったから。
おかしくなっている間は、様々な物が無意味な意味を持つし、色々見えて色々聞こえる。
その方が、楽しいは楽しい。
まともになったら、今度はそれにほっとするから退屈なんて思わない。
便利なもの。
 

2009/07/08(水) 夜好み
この時期の、この気温の、この湿度の、夜。
冬よりもうんと遅く暗くなって、なのに何となく暗くなりきらない夜。
窓の外の物音が無性に胸を打ちます。
ひどく心動かされるものを見た時のように、苦しくなってしまう。
何だかとても不安で切なくて、けれど安堵します。
風と、ざわめく植物と、距離を置いて聞こえる車道の轟。
ずっとこの季節であればいいのにと思ってしまいます。

あとは、以下リンク。
絶対大丈夫だと思っているけれど。
これが酷い事態の原因になったりしないと、私もどこかで信じているけれど。
参加の一環としてひとまず。

「STOP!今そこにある「漫画・アニメ禁止法案」」
http://svcm.moemoe.gr.jp/
「架空創作表現規制禁止の法制化を求める署名」
http://www.shomei.tv/project-1025.html
「止めろ!規制社会・監視国家ブログ版」
http://kitaharak.exblog.jp/
 

2009/07/07(火) 七夕
七夕。

暗いのは、怖いです。
夜も明かりをつけている時間が長い。
でも、暗闇が好きです。
もっと真っ暗な夜の方が、健康的だと、そう思う。
エネルギーが枯渇したら、街灯やマンションの廊下灯は制限されるだろうか。
全部感知式になるとか。

明かりを持たねば歩けないような闇は恐ろしくて、でも好き。

織姫と彦星、或いは織女と牽牛の話。
あれはなかなかに、厳格な話だと思う。
そちらは元々、中国から入った行事。
五行説に基づいた糸を飾る。
日本に元から有ったのは、棚機つ女(たなばたつめ)。

本日は満月だそうだが、旧暦で言えば五月十五日。
旧暦の七月七日よりもずっと雨の確率が高いらしい。
http://koyomi.vis.ne.jp/ 

2009/07/06(月) 病質
真っ白な部屋に閉じ込められたい。
娯楽の無い場所で、材料と資料だけ手にして、何かを作り続けたい。

普段情報と娯楽に埋もれて生きているから、そんな何にも無い場所にいたら気が狂いそうになるだろう。
妄想が過剰になって、床を転げたりせずにいられないだろう。
独り言が言葉の形を失うかもしれない。
死人ごっこを始めるかもしれない。

そんな状況で、何か作りたい。
気が狂いそうだと思う状況の中で、きっと脳がしっとりと冷えていく。
今の私にはそれがしたいのに。

なんて中二病。
でも、これは青春期とはまた違う感触。
誰にも見てもらわなくていい、むしろ見られたくない。
たった一人で、惨めで滑稽な自分でも、それを観察して笑える。
昔の方がまだ少し社会的だった。
 

2009/07/05(日) 言祝ぐ
人の死をあまり悲しがらない態度を、冷たいと言われるのだけど。
私だって話せなくなるのは寂しい。
これから有ったかもしれない、新しいその人を知ることは永遠に無いと知るのが悲しい。
けれどそれは飽くまでも別れの悲しさで、死の悲しさではない。

「その人の生が好く満了した、完成された上での良い終わりだったと思いたいから」
これだと少し作られた言葉になる。

「誰でも死ぬ、私は置いて往かれるが、私も誰かを置いて逝く」
簡潔にすると今度は足りない気がしてくるが、本質はやはりこれだと思う。

遺伝子が体を乗り継ぎ、「個」が連なり重なり続いていく。
点が連なれば線に成り、それはどこかへ向かうかもしれない。
私は取るに足らない点の一つなので、線のどこにあろうと変わらない。
そして同時に、どこにいようと線の一部であることも変わらない。
それに安堵するのが私の種族愛だ。

私は死ぬ。
それを私は、生物として嫌がり、人格として恐れる。
痛いのは嫌、苦しいのは嫌、寂しいのも切ないのも嫌だ。
でも死はそれらとは別の部分で歓迎されている。
生が喜ばしいならば死も同じ。
コインの表だけを手に取ることは出来ない。
この幸せは全て、死を前提とした生の上でのこと。
この生は幸福だ。
この上なく満足だ。
だから私は死が嫌ではない。
幸福を受け取る為なら、死のある生を喜ぶ。
同じ幸福が誰の上にも在るのだと信じたい。
例え本人が、それを知らなかったとしても。
 

2009/07/04(土) 整頓欲求
「どれだけゴミ問題が深刻なのかよく分かる写真いろいろ」
http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20090515_picture_trash_problem/

片付けたい。
とにかく問答無用で片っ端から片付けて片付けて片付けていきたい。
水から引き上げ、山にして、とにかく燃やしたり刻んだり分類したりしたい。
車を分解し、パーツ別に並べたい。

よく分からないけれど、とてもしたい。
楽しいかとか、そういうことではなくて。
おそらく性欲とか好奇心とか、そういう抗い難い欲求で。

そういう人生良いかなと、いつもどこかで思っている。
自分がやりたいことをとにかくやるという生活。

動物や自然や人間や平和の方が、ずっと構い甲斐があるだろう。
でも、そこには絶対葛藤が生じる。
良いとか悪いとか以外にも、色々悩むだろう。
人との衝突も避けられまい。

けれど、ゴミ掃除だったら。
何にも考えず、ひたすら好きに出来るんじゃないだろうか。
自分の部屋より、他人の部屋の方が片付け易い。
テスト前の片付けは楽しい。
そんな、感じで。

海岸のごみ集めも、興味がある。
好き勝手に出来るのならばどんなにやりたいことか。
趣味にしたいぐらいだ。
 

2009/07/03(金) 花見の夢
何度か見たことのある夢があります。
そんなに珍しくも無い内容だけれど。

満天の桜の大木が、延々と続く場所です。
あんまり木が大きいので、空が全部桃色の雲に覆われているように見えます。
そこには沢山の人がいて、「お花見」をしているのです。
でも、桜の色は少しおかしい。
薄い桃色に赤いフィルターがかかったように見える。
質感もなんだかざらっとしているような。
それは、桃色の花弁に一枚一枚細かい赤字が書いてあるからです。
お花見をしている人達からは、時々歓声が上がります。
舞い散る花弁の中に自分の名前を見つけた人がいる時です。
皆が一際盛り上がる中、名前を見つけた人は縄を輪にします。
それに首を入れると、盛り上がりも最高潮で、本人も楽しそうに手を振ったりします。
そして、皆の歓声とともに首をつります。
一度下がった縄は、急にゴムになったようにぐんと上へ引かれます。
人々はわっと沸き立ち、また宴会を続けます。
遥か上方では、桃色の雲に頭だけ隠れた状態で死体がぶら下がっているのです。
だから上の方を注意深く見ると、沢山の人の身体とぶら下がる足が見えます。
彼らは本当は死んでいないのかもしれません。
桃色の雲に頭を突っ込んで幸せなのかもしれません。
でも、私はそれが結構怖いと思って見ています。
彼らが皆、死ぬ為に延々と宴会を続けているのが怖いのです。
死体の下で、楽しそうにしているのが怖いのです。
それが少し羨ましいのが、生理的に気持ち悪いのです。

私の精神は少し不健康なようだ。
でも、目が覚めて悪い気分を忘れると、記憶に残った光景は綺麗。
だからあんまり嫌ではない。
 

2009/07/02(木) モチベーション
悲しいな。
「今後10年間で絶滅してしまうかもしれない10種の動物」
http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20070524_10animals_may_go_extinct/
自分に出来ることが、気休めさえ、一つも無いのが寂しいな。
確かに好きなのになあ。

出来ないことは沢山あります。
出来ることよりもきっと多い。
出来るのにやっていないことはどのくらいあるかな。
出来ないのにやろうとしていることはそんなにない。

可能不可能がどの程度自己満足に影響するのか、興味ある。
 

7月絵日記の続き


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