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2009/07/28(火)
偏向
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一方的な類に限れば、サディズムは原始的な動物でも持っているのがいそうな気がする。 哺乳類に雌雄が出来た頃から、同性性行為はあっただろうな。 カモにもネクロな性行為が発見されたというし。 ヒトが服も着ていないうちから、ペドフィリアはいたと思う。 性が二個体の間に渡るものになった時から、ずっと例外は存在する。 支配欲や攻撃の本能や、元々有った様々な衝動が性欲と隔絶されなかったということだろう。
フェティシズムは、どうなんだろう。 フェチではなくて、フェティシズム。 例えるなら、「下着さえあれば中身はいらない」そんな人達。 ハイヒールが登場したのと同時に、ハイヒールに対するフェティシズムは生じたのか。 銃器の伝来が遅い地方では、今でも銃器フェティシズムの数が違うのか。
尾籠な話になるが、スカトロだけでも細分化が果てしない。 ‘自分の’と‘人の’だって、一緒にされてしまっている。 ‘人の’に限定したところで、対象が‘そのもの’なのか‘汚いということ’なのか、‘排泄行為’にあるのかで全く違う。
更に言えば、そもそも糞尿はどんな動物にでもある。 けれどそれをこんなにも社会から隔絶し、敬遠するのはヒトぐらいだ。 そこに禁忌感が生まれれば、それは生産されたもの。 ハイヒールや銃器と同じで、社会的な観念に基づくものかもしれない。 フロイトは発達段階における抑制から発するものだと考えていたらしいし。
何の話かと言えば、生物とヒトとの間の溝が見極められないという話です。 同性愛は生物的なバグ、と主張する人達がいる。 ペドフィリアは先天性、という学説がある。 フェティシズムが社会的なのか、生物的なのか、その辺りを追求するのは面白いです。 素潜りの様に深くて苦しくて珍しい。 ヒトはどこまで動物か、が私にとっては大きなテーマです。 どこまででもと、断言するのは簡単ですが。
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