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2009/06/22(月)
じちょうとじじゅうは両方とも自重
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ウェルテル効果について考えたい。 社会学ではなく生物学的な見地で。 ヒトという生物の特徴に関して、もっと重要な意味を持つような気がする。 個人の死は、個人の死。 それが多数の死になれば別の意味を持つ。 むしろ多数になってこそ、死の数には初めて意味が出来るようなもの。 だから拡大し連鎖するとなればそこになおさら統計としての意味が出来る。 数字になった時にこそ見える生物として動物として種族としての特性。 それが、面白そうで。
現在各所で話題或いは問題になっている擬人化ジャンルの大手について。 そもそもこれに関して、二次創作には何となく、はまるという程はまれない。 人から見れば十分に満喫しているように見えるのだろうけれど。
原作から離れるという現象が、少し苦手。 あれの原作・基礎になっているのは「茶化し」だと思っている。 それぞれの集団の、特性を記号化してジョークにする。 国単位で特徴を笑い合うのは、実際にするし、楽しい。 自分が外国の人から「日本人」として茶化されるのも面白かった。 だから、それが擬人化されているのは可愛いし笑える。 そうやって様々な国に興味や愛着を持つ人が増えるのは嬉しい。
けれども、それが二次創作になった時、元に有るものは変わる。 個人的には三次創作になるのではと思う。 人型の、「キャラクター」として見る側から個性が添付されると、どうにも色々勝手が違う。 元々そこに茶化しを含んで成立しているキャラクターだと思って見ようとすると違和感が出てしまう。 良い意味でも悪い意味でも、偏見や知識、茶化しが無くなる。 それが何だか、疑問。
BL自粛に関しては、何とも思わない。 どんなジャンルでも、BLやGLの二次創作が派生しないことなんて無いぐらいの状態だ。 このジャンルに関してだけBL自粛と言われても。 第一、国の関係をそれに準えるのは、皮肉や暗喩として昔からある。 社会学者や芸術家だってやっていたこと。 個人が妄想を表に出しても、問題なんて全く無い。 東京タワーとエッフェル塔だって問題になんてならなかった。
戦争や人種差別、軍備や経済のネタには色々ある。 だが、問題を二点とすれば一点は知識で一点は道徳だ。 まず知識だけれど、確かにおかしい知識や偏見を持つ人はいるだろう。 だが、某掲示板の軍備ネタ人種ネタを誰が今まで真面目に問題にしたか。 人それぞれの勝手な意見だ。 良くも悪くも、ただの個人の思想や創作はそう大きな影響力を持たない。 個人に対して非難して、個人がそれに答えればいいだろう。 もう一点の、道徳。 戦争や差別をネタにするのは不謹慎だという話。 そうか?と思う。 二次創作どころか、一般のエロゲやBL、GL、マイナージャンル、アングラ。 どこを見たって不謹慎なものは溢れている。 レイプAVが禁止された国と、我が国の強姦発生率でも比較してみればいい。 不謹慎な娯楽が無くなる世界は来ない。 元々、国とその国民全てを茶化すのが国民性ジョーク。 それを笑うのが、余裕というものだろうに。 私だって戦争で萌えるのは無理だし、民族浄化なんて単語だけで嫌悪感を感じる。 だが、うっかりそれを目にしても不快になんてならない。 なるとしても、気に入らない女優のAVや絵の嫌いな漫画を見たのと同じ程度だ。 見て気分を悪くするのは、とにかく見る側の責任だと主張したい。
そして、ここまで書き連ねたその上で。 平和の為に戦う人も、平和の為に寝たふりをする人もいる。 大きいジャンルでなければ楽しめないわけでもない。 だからこの問題と戦わず、隠れてやり過ごすのも良しと思う。 人が減り、参加者も非難も注目度も減って、それから好きに楽しむ。 それだって理性に基づく選択の一つだ。 このジャンルを好む人の多くは、戦い合うモチーフの両側を好ける人々のはず。 心底平和を望めばこその、敢えての「自粛」も、それはそれで応援したい。
本音を言えば、こんなにも、盛り上がらなくても、良かった。 拡大の恩恵も、感謝はしているけれど。
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