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2009/06/17(水)
苦痛
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先日、海外ドラマのグレイズアナト○ーを見ていたらこんな患者がいました。 屈強な黒人の青年で、ボクシングをやっていたかな。 無茶をするのが好きで、何でも最後まで突き詰めたがる。 苦痛には意味があると考える。 タフネスという言葉を主義とする様なタイプ。 彼は友達に頼んで銃弾を撃ち込んでもらう。 たしか、それでタトゥーを完成させようとした。 けれど銃弾を受けると身体はショックを受ける。 元々他に入れたタトゥーが化膿していて、そのショックとストレスで発熱が始まる。 最後に彼は敗血症になり、死んだ。
死ぬとは思っていなかったんだろうなと思った。 もし死後に話せたら、本望だと言うかなと考えた。 そういう死に方をする人は、思っているよりきっと多い。 死にたがっているはずなのに生きている人と、どっちが多いんだろう。 自分で死ぬということは、簡単なのか、難しいのか。 体は思っているように弱いのか、意思を左右するという意味では強いのかも。
私は今日の夜には、死んでいるのかも。
苦痛には意味があるとは思う。 意味というのは、自分で与えるものだから。 そして苦痛は、私にとっては価値が有る。 だから意味も、ある。 価値が有るというのは受け入れている訳でなく。 勿論得るものがあるとも限らない。 避けうる限りは避けていくし、本気で嫌がる。 ただ、無くなればいいとは思わない。 死と同じく、それが在ることが私にとって大事だというだけのこと。 避け、嫌がり、逃げようとするという関係性が、その大事さを否定するものだとは思わない。
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