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2009/06/30(火)
月終わり
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もう、半年が過ぎたとは。
今年も調子好くガタガタと運営しているNatutatismでした。 長文、戯言、これからも続くと嬉しいです。
自分のことをちゃんとした女性だと思っていません。 ですが、女性が女性であることを尊敬しています。 男性が男性であることも尊敬しています。 だから明日、男性になっていたとしても悲しみません。 明日から一日ずつ男女交替しなければならなくなっても、むしろ喜びます。 いっそ両方付いてればといつも思っています。
女らしいと言われても嬉しいです。 一応女性に生まれたから、世間の女性に少しでも近付けるなら進歩。 男らしいと言われても嬉しいです。 女性に生まれているのに反対方面で褒めてもらえるなんて、それはそれで進歩。
押しつけられるのは大嫌いだけど、それ以外なら全部嬉しい。 じゃんけんは三種類あるのが楽しい。 血液型占いは四種類あるから出来る。 性別が二種類あるのも、きっと楽しいことのはずだ。 だから男らしいも女らしいも、褒め言葉としておかしくない。 どちらも尊敬され、嫉妬され、誇りに思われ敬われるべきだ。 絶対にそうだ。
何でそんなに拘るのかと言えば、これが私のテーマの一つだからです。 自己肯定に絶対に必要な過程だからです。 自分が自分だけの形や属性を認めることは、何とか出来る。 けれど、人種や年齢や性別は違う。 私が認めても、多くの人が否定していればどんどん肯定出来なくなる。 「女のくせに」「女性には無理」「男に生まれれば」 そういう言葉が、それらに悩み苦しんでいる人達がいることが、私を簡単に打ちのめす。
私はとても根が暗く、鬱っぽくて自壊的な性格です。 だから自己愛の構築を、周囲にとても頼っている。 好きな人に好いてもらえる自分なら肯定出来る。 沢山の人が好きで、皆が好きな物が様々だから、結果的に私は沢山のものを好きになれる。 そうやってモザイク模様の認識で、やっと今の幸福感を持てる。 でも、だからこそ、根深く否定されるものが怖い。 皆に否定されると、私は簡単に流されてしまいそうになる。 それが変えられないものなら、なおさら。
今は人種も性別も年齢も、否定する人が多い世界です。 それはする側だけでなく、される側にも根深い。 いっそ人種なんて無くなってしまえ。 性別なんて無くなってしまえと、思いたくなる。 それが嫌で、嫌で。 私は感謝して、尊敬して、敬愛していたいのに。 沢山の女性も男性も大好きなのに。 一時も卑下したり後悔したり侮蔑したり、したくないのに。 それが出来る様なしっかりした芯は、私には無いのに。
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