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2009/05/19(火)
翻弄
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どうして残酷なものが嫌いなのに残酷なものばかり読むのかと聞かれれば、それはおそらく好きだから。 好きと嫌いは目盛りが別。 嫌いと口に出して言うほどには嫌い。 好んで読もうとするほどには好き。 何かおかしいだろうか。
嫌いだというのは、生理的な拒否感のことを言うとする。 理由があるならばそれは「嫌い」じゃない。 嫌いというのは、感情的で、ある程度先天的。 恐怖とか痛覚と同じ、機能的な感覚。 けれど恐怖は娯楽になる。 痛覚だって娯楽に出来る。 嫌悪感だって、娯楽には出来る。 それはマゾヒズムではない。 克服の為の挑戦でもない。 ただその感覚を楽しんでいるだけだ。
安心さえしていれば、感覚は全部娯楽に出来る。 苦痛も飢えも渇きも恐怖も孤独感も不安も。 感覚それ自体が快楽なのは、実に不思議だな。 言葉よりももっと、ヒトの特徴的な特徴だと思う。 過度な安心を得て、不自然な快楽を得ることが出来るのは。
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