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2009/04/09(木)
不手際
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女の子の書く恋愛小説の言葉は実にふわふわして甘いなと。 思うと同時に、時々「これでいいのか」と思ってしまって後ろめたい。 そんなので良いのなら、喜んでくれるなら、幾らでも真顔で口に出来るのに。 自分は求められていないからこそかもしれないけれど。 言葉で良いのなら、何でも口に出来る。 気持ちの方も、半分ぐらいは言葉に合わせられる自信がある。 まあ言う相手もいないのだけど。
求められれば提供出来るなんて思考は、所詮現実的ではない。 好意も愛情も、くれれば返すなんて言うのは愚かなことだし、偽りだ。 人から求められるのを望んでも仕方がないこと。 自分がそれらを注ぐことが本質なのだと分かっているけど。
でも、実際に確かな好意を自覚できる友達や家族には何を言えばいいのか分からない。 喜んで欲しいのは確かだけれど、自信を持って上手くやることなんて出来ない。 むしろ後悔しないことなんてほとんどないという状態。 それこそ、言葉を選ぶのさえ書く文章の様には判断出来ない。 迷った揚句、タイミングを外して、更に選択を失敗する。 だからこそ、最善の言葉がテンプレートになっていたらなんて望む。
喜んでほしいなんて言う言葉も、実際には大分が見栄なのだと思う。 支配欲も独占欲もそれなりに有るし、なによりもっとおかしい欲求が沢山ある。 自分がちゃんと出来ないからと言って道連れを欲するなんて最低だ。 けれど、そこばかりは小説の様な破壊欲がいつまでも消えず。 厨二病と一緒に治って欲しいと思っていたのに。 残念なことに、大人になっても本質からの駄目人間だったというだけで。 だから自分は、人並みに欲求なんてしようとは思うなよと、自制が必要で。 それでもすぐに自制を忘れるのは、やっぱり旧皮質に由来する欲求だからなのだろうか。 人が文学や音楽に昇華しようとするような煩悶を、ヒト以外の動物も持っているのだろうか。 それとも言葉の弊害と思えばいいのか。 私は言語の信仰者なので、それだってやっぱり言葉を信仰するけれど。
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