DaysFragments
四人が書く順番や割合はランダムです。内容は各個自由に。
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2009/03/16(月) 政治家
「短命政権ばかりの日本政治、戦後の首相数30人!=でも社会は混乱せず―中国紙」
ttp://www.recordchina.co.jp/group/g29523.html
他国の意見、特に近隣の大国の意見と思うと興味深い。

特に「選挙民が政治家にあまりにも寛容であること」は、本当に沁み入る意見だと思う。
「こうした寛容な態度が無能な政権を継続させている」と言われても反論が無い。
そうころころと上司を替えられては、国民だって厭きれ始める。
会社であれば、無能な上司も下に支える部下がしっかりしていればそれなりに動くものだと、経験から言える。
それをその部下達が、挙って無為な論議に興じていたのでは何とも。
国土の防衛は、景気の対策は、法律の更新は、出入国の整備は。
余裕もないのに、気になることが全く解決の兆しを見せない。
出来ることの無い身で言うのも図々しいが、日本に対する愛情が足りないのではと疑ってしまう。

日本の政治家と言うのは、何と言えばいいのだろう。
いつまでたっても「悪代官」のイメージが抜けないように思えて仕方がない。
外見的にも、内面的にも。
太田●一氏なんて、御本人のサイトはとてもクリーンだ。
意見も方針も読めば尤もだと頷かざるを得ない。
それなのに過去の発言を調べれば、失言というレベルの内容ではない。
無論、年代的に矯正の難しい発言の無神経さというものはある。
だが政治家と言うのは勉強家であるべきだし、さほど難しい問題に関しての発言でもない。
残念ながら、発言そのままの思想をお持ちなのだと解する以外には無いだろう。
関係団体など見ても、あまり宜しいお人には見えないのがまた残念だ。
私の思うことなどただの単純な感想に過ぎない。
だが、これだけの批判がある中で今の活動ならば、そう深い失点だとは捉えておられないのだろう。
第一本当に優秀な人であれば、悪評に対しての対策だって出来る。

何も出来ない自分では有るけれど。
日本は本当に本当に愛おしい自国であるので、関心だけはと思う。
内外の境に対する受け止め方、死生感、独特の包容力と順応力。
引籠りがちな内向の気質と、虚構に対する執着心。
擬人化も良いだろうが、今更と言えば今更だ。
何の形も無くとも、今までの自分の愛したものの多くが在る場所なのだし。

ところでバチカンサイトには中国版が登場するようだが、悪名高き金の盾はどうするのだろう。
 

2009/03/15(日) 春入り
久しぶりに都内へ出てうろうろとしました。
春物の並ぶ様子は色とりどりで華やかだし、若者は実に輝かしい。
一応には平和だし、人々もそう思って安心している。
路上の凍死体もなければ、食べ物をくれと縋る子供もいない。
こんな国で、愛国心の教育なんて必要なんだろうか。
まるで天国の様だと、多くの人が言ってくれる環境が簡単に目に出来るのに。
こんな国に生まれ育って、感謝しない方がおかしいだろう。
本でもテレビでも、自分がどんなに幸福かを押し付けがましいほど教えてくれる。
無論不満はあるけれど、自分が立派ではないから何も言えないな。
未熟未満。
真人間になりたいけれども、自分が真人間になったと思う様な人間にもなりたくない。
自信の付いた自分なんて嫌いだ。

何にせよ、春の空気は麗らかでした。
生命力が私にももっと欲しい。
もう少しまともに、目が覚めた時間を送りたい。
 

2009/03/14(土) 春待ち
拍手の中身を、何かメンバー用のページへのリンクにしてみようとか思いました。
例えばメンバー同士でひたすらお勧めの動画を貼っているだけの紹介ページとか。
どう思われますか。

暖かくて雨が降ると、気持ちが悪くて気持ちが良いです。
なんだか悲しい酩酊感を感じる。
死ぬ準備をするのも生きていることの一つだと思うのが、好きです。

どうにも、やりたいことが進まない。
とても平坦で温和で安楽な日々なのですが、苦しいです。
小さな罅が体の下で広がっている様な心地です。
 

2009/03/13(金) 春の嵐
春が来るらしいですね!
風が強く、空気が暖かかったです。
まだまだ体が冷えますが、雨が降っても指先が凍えないのは春の兆し。
気持ちが浮かれます。
楽しみです。
 

2009/03/12(木) 正夢
重い話題が続きましたが、逆に軽い話題で続けてみたいと思い始めました。

夢で珍しく、漫画の夢を見ました。
久しく読んでいない作品で、特別な作家でもなく。
本屋に行ったら、新刊が出ていました。
私の人生において敏さのステータスが全てここに振り分けられているようです。

残念だ…。
だが、無いよりはマシかもしれない。

軽くはない話になりますが、日本はとても平和ですよね。
戦争になるかもしれないというのに、ニュース番組の内容の穏やかなこと。
「羊たちの沈黙」を文字で見る度、草食民族日本人を思い浮かべます。
しかしビッグサイトの前に列を作る時、充足感があるのは理解する。
少なくとも一体感には弱いようです。
 

2009/03/11(水) 会話
「中二病に罹患しそうなので、今日は明るい話をしたいです」
「じゃあ着エロに付いて話そうか」
「先生、テーマにラバースーツを取り入れて下さい」
「ビザール含むなら許可しよう」
「中二病促進しちゃいそうなので着ぐるみも含みませんか?」
「その前に、明るい=着エロになった過程を細かく」

メンバー同士では、割合に軽い話ばかりしています。
ログが流れたら勘当される人が出そうです。
しかしエロス方面ではあまり深い話にはなりません。
全員の性癖嗜好が違い過ぎるからです。
経験どころか成長過程の環境も経済状態も全く違います。
何故会話になるのか、時々不思議に思います。
 

2009/03/10(火) 故障
しばしば、無性に嬉しくて悲しくて。
情緒不安定な時でなくても、同じに。
感情が壊れているのかもしれない。
ひどく原始的な形のまま、育ってしまったような気がする。
もっと人間になる努力をすべきだったのに。
甘やかされた子供なんて。

目にした物の美しさに涙が出ることがある。
それを自分の純粋さだなんて思わない。
狭い幼稚な脳に、精緻な情報が入りきれずに押し出されているだけ。
感動しているなんて感じない。
心も魂も、理論上の仮定以外としての実在は認めない。
多分どこか狂っているんだ。
細かい話ではなくて。
プリントのずれた食玩みたいな不格好さで。
だから自分以外が何でも綺麗に見えるんだ。

>7日に拍手を押して下さった方
有難う御座います。
励みになります。
 

2009/03/09(月) 殺人事態
人を殺すというのは、どんな気分なのだろう。

身の回りには、直接的に人を殺した人はいない。
間接的に殺してしまったと考えている人はいる。
いつか殺したいと願っている人もいる。
けれど、実際にその手で誰かを殺した人はいない。
過去にはいたのだけれど、それについて話す機会は無かった。

ドキュメンタリーで外国の元少年兵のインタビューを見た。
両親を自分の手で撃たせられて、それから人を沢山撃ったと。
それを見た時点の私よりも、まだ下の年齢。
肌の色は違ったけれど、隣の家に住んでいてもおかしくない「普通」の少年。
もう撃ちたくないと行っていたけれど、彼が平和に生きる為には銃がまだ必要かもしれない。
その彼は、人を救う側になりたいと言っていた。
彼が殺人者であっても、これから少なくとも私よりは価値のある人生を生きるだろう。

深夜のアニメを見ていた。
初めて人を殺したことにショックを受ける、「よくある」場面。
今まで特に何とも思わなかった表現だけれど、突然ひどく不思議に感じた。
人を殺すのは、特別なのだろうか?
一体何がそんなにショックなのだろうか。
ショックを受ける方が「正しい」「普通」の反応なのか。
それは、平和において?この状況において?物語の正道において?
その場面で表現されてるのは何なのだ。
人間の命の重さか、人を殺すことは非日常のショッキングな出来事であるべきだという主張か。
それとも作る側の個人的な想定なのか。

私には好きな人が沢山いるが。
その好きな人も、必ず死ぬ。
誰かに殺されるかもしれないし、何かに殺されるかもしれない。
近々死にそうな人だっている。
メンバーの死も、長い付き合いの中、ずっと頭にある想定である。
ここで無論、自分の死のことも考えるけれど。

私はおそらく、人を殺してもショックは少ないだろうと思う。
動物を殺すのは嫌だったはずなのに、授業の解剖には抵抗しなかった。
胸の中は曖昧で不快だったけれど、想像していたショックは無かった。
食べる為に釣って捌いた魚には、同じ不快感を受けることさえない。
生きる為の殺人なら、罰されないであろう殺人なら。
多分私は、そんなに、自分が思うほどには、ショックを受けないだろうと思うのだ。

自分に、物語の主人公にされる様な正しさを期待しない。
悪役にされる様なタフさも期待しない。
小悪党程度の小回りもきくことはない。
純粋な被害者であれるほどの善性も足りない。
殺人はただ殺人であるだろう。
小動物を「学校で」解剖する時に感じた、あの空しさ。
大人になった今では、更に鈍感さを増しているだろう自分には、あの冷たさはなかなか蘇らない。
ただ、もしかしたら来るかもしれない、大切な人の死を見るその瞬間を、恐れつつ少しの期待も否定出来ない。

自分の老いと、その果てに来るものは来て当然のものだ。
それを私が嫌悪し恐れ逃避するのも当然のことだ。
何も特別なことはない。
殺人について、何を考え感じるべきか、よく分からない自分に違和感を感じはする。
でも、ただ、大切な人が死ぬ時。
そうでもしないと見れないものが、何か見えそうな気もする。
それを一度は見ておきたいし、自分の死でそれを見る人がいることを想像すれば少しだけ喜びに変わる。
 

2009/03/08(日) 血縁
自分の兄弟姉妹というのは、少し不思議。

近い親戚でも遠くにいれば、情は薄くなる。
長く一緒にいれば、他人だって配偶者になるかもしれない。
親は親で、絶対的な存在であった時間は幾つになっても自分の中から消えない。
兄弟姉妹は、不思議。
親よりは友達に近いのに、友達よりは確かに自分に近い場所に生きている。

この歳になって、また一段と不思議に感じる。
同じ場所で長い時間を暮らしてきた存在。
情報の共有が多い人間。
幼い頃に一緒にいたというのは、予想外にも大きな事実で。
影響力も大きい。
得るものも大きければ、憎しみを感じることも他人よりは多いはず。

血縁と言うのは、結局時間の結果で生じる愛着なのだと思っていた。
でも、繁殖という機能が間近になってみて少し変わった。
自分は人生の最後まで、子供を持つことがないかもしれない。
それを現実的に考えてみて初めて、血縁についても考えられたことがある。
自分に近い存在が、未来に繋がる可能性を思うのは、楽しい。
嬉しい。
姿かたち、生きてきた環境、親の教え、家族の悪習。
近似した遺伝情報が伝わって残るだろうことを思うのは、面白い。
兄弟姉妹がそれを託せる存在なのだと、本当に最近になって気付いた。

脳の奥からの、深い愛情と満足を感じる。
脳の浅い部分からの、薄い憎悪と無常を感じる。
 

2009/03/07(土) 戯れ
リンクと記録を更新した。

データが積もるのは、なんだか不思議だ。
積もるとだんだん鬱陶しくなって、すっきりさせてしまいたくなる。
すっきりすると、今度はまた積もらせるのが目的になる。

このサイトも、今でもまだ時々無性に「止めよう」と思う事がある。
自分の他に三人もいると、言いだせないのだが。
その為にこそ、四人でやっているのだけど。

頭の中だけで全てを終わらせてしまうことは出来る。
十分な満足も、完全な安定も、何もかも。
私にはそれが出来る。
それは分かっている。
こんな自分にも出来ることの一つとして知っている。
でも、そうしてはいけないという事もちゃんと分かってる。
材料だけでも外から仕入れるようにしなければいけない。
だって、そうでなければ、もう生きている理由は一つもない。
私は今すぐにでも幸せなまま死んでしまえる。
そうしたくないのか、本当はよく分かっていない。
でもこれは、こういうゲームなのではないかな。
ゲームというと言葉が悪いので、遊び。
生まれたままの外見、与えられた環境、振り当てられた自分。
それをどうやって時間切れまで弄って過ごすかと言うのが、一生だと思う。
人生ではなく、一生。
ヒト以外の何だって、一生しか生きていない。
面白いね。
 

2009/03/06(金) 小休止
書く絵の柄は自分の容姿にどこか似ると聞く。
だから私は上手く絵が書けなくて、何でも気持ち悪くなるのかな。
自分の形が、未だによくつかめないから。
 

2009/03/05(木) 羽虫の群れ
ネットの悪口で自殺、とか聞くと不可解。
無記名で書かれる程度の軽い言葉。
好きでも無い、自分にとってはどうでもいい人達の反応。
私の「ネット上の悪評」はそういうイメージだから。

人に注目されるのは怖い。
悪意の対象にされるのはもっと怖い。
でも、好きな誰かに嫌われる方がもっともっと怖くないだろうか。

言葉には物理的な力は無いし、精神的に傷付いても観測は不可能。
確かに有ったとしても共有されないものは、自分だけのもの。
どんなに理不尽に怒っても社会は変わらないし、どんなに誰かを好いても好かれるとは限らない。
たった一人のものが、一体どれだけ重要なんだろう。
人の言葉に傷付くというのは、一体社会においてどんな現象なんだろう。

例えばこの日記にだって、嫌いなもののことを書くことがある。
それを好きな人が私の文章を読んで傷付くかも知れない。
自虐の文章だって、読めば不愉快になる人も沢山いるだろう。
それでも私は「嫌い」とか「無くなればいい」とか、そういった言葉を使用する。
もしかしたら、傷付く人がいるかも知れないし、自殺するかも知れない。
でも、不特定多数の目に付く可能性があることを知って書いた文章だ。
それぐらいのことは、承知して、書くべきだと思っている。
だからもしも誰かが私の日記を読んで自殺しても、その責めを他人から受けるつもりはない。
私が自己責任で発した言葉、それを自己意思で読んだ誰か。
ネットを挟むと曖昧になるかもしれないが、これだって会話の一つには違いないと思う。
だから傷付いた誰か本人にしか、責められたくない。
会話で人を死なせた責任は、追及されるべきなのだろうか?

「言葉の暴力」という表現が不思議。
言葉には「力」があるのだろうか?
確かに人を感動させたり悲しませたりは出来る。
その結果、大きな結果が出るかも知れない。
けれど結果は行動の結果なのであって、感情の結果ではない。
言葉の力はどこまで作用と認められるのだろう。

実の親や一番好きな人、信じていた人から酷い言葉をかけられて死ぬ人はいる。
でもそれは、言葉のせいで死ぬのではないと思う。
言葉が伝達した意思によって死ぬのだと思う。
相手の意思が言葉で伝わり、言葉から理解されたその内容で、自分の中の何かが壊れるから死にたくなるんだろう。

会ったこともない、好きでも無い、深く考えているわけでもないだろう誰か。
その不特定多数の貶し言葉は、意志の伝達ではない。
だって、相手が読むという保証もない一方通行だから。
それでも死にたくなってしまう。
その気持ちが、不思議だ。
多分その人の中にはもともと、「多数」の発する言葉に支えられて出来た何かがあるんだろうな。
だから同じ「多数」の言葉で壊されてしまうんだ。
 

2009/03/04(水) 論争
ニュースを見ていると何か自分の中の折り合いのつかない部分が騒ぐので嫌だ。

私は滅多に誰かと対立したり、争ったりしないように気を付けている。
けれどどこかでそういうものを楽しいと思う自分を捨て切れない。
能力もないのにそんなこと参加するべきでないと、分かっているけれど。

国の話は、とても立派で盲目的な「大義」になり得る。
だから戦争に付いて大衆も政府も敏感になるのは分かる。
見ていると、考えていると、もうどうしようもないぐらいに高揚してしまう。
国益とか国防とか核とか戦争に付いて、話そうよ議論しようよ喧嘩しようよと、言いたくなる。
身悶えするほどの欲求が、時々芽生えて体温を上げる。

議論は疲労するし消耗する。
結果に繋がるとも限らないのに、築き上げた環境や人間関係は簡単に壊す。
結論が出なければ全くの無駄に思えて虚無感ばかり募る。
その虚無感も、次に繋がるとは限らない。
そもそも、目的がはっきりしなければ無駄に過ぎない。
けれどそれでも、したくなる。

愛する故の渇望、思い入れによる暴挙。
人間関係が長く続くと起きる衝動に似ていると思う。
騒動するほど大事な何かがあることで、自分の関心と決心を確認したい。
それが気持ち良いから、楽しいから。

ただ、そういう衝動としか呼べないもので議論を始めるのは望まないけれど、それでも。
私はこの国が好きだし、愛しているから身を捧げられると、そう言いたい。

内に籠って理想を求めて、自分の中の愛情を整理するのが苦手で。
感情や衝動の表現に慣れず、極端な形に発露させてしまう。
時々オタクに右翼が多いと言われてしまうのは、この雰囲気なのかな。
 

2009/03/03(火) 桃の節句
汚れを祓って健康と厄除けを願い、形代を流して健やかさを求める上巳の節句。
旧暦で言えば、今月末の、本当に桜や桃の季節なのですが。
雛飾りの左右は、関東と関西では逆だそうですね。
三月三日を上巳の節句と決めたのは魏の曹操の長男、武帝曹丕だとかオタクやってなければ一生知らないであろう知識でした。

とりあえず、桜餅を食べて健康と暖かい春の到来を祈っておきます。
寒い。

昔友達に何かの機会で「雪虫」の擬人化を描いてくれと頼んでみたことがあります。
いない虫、想像上の虫としてですが。
頭から落ちてくる人の頭部が繊細で少し気持ちの悪い模様で覆われていて、「春には僕は死ぬけれど」と書いてありました。
私がそういうちょっと暗くて不気味なものを好きだから書いてくれたのだと思うのですが、とても印象に残っています。
そうか、春=命の季節、なんて思いこんでいてはいけないんだなと。
 

2009/03/02(月) 根本
自分と他人の境と言うのが、明確かつ曖昧なのは、主観と客観が両方頭の中にあるからだと思う。
どんな女の子でも可愛いと思えるのに、自分の容姿は受け入れるのは難しい。
友達なら大抵のひどいことは許せるのに、自分だと何もしないことさえ許せない。
好きになれるとかなれないとか、そういう問題ではない。
何か心の根底に、自我とか自分の存在とか、根本的なそれを憎む何かがあるかもしれない。

明日までのイベント。
2月25日〜3月3日
「新世紀の人形たち」
http://www.dolsballad.co.jp/

某楠のニュースが届いた。
垂れ目がブームなのか。
13二人は見送るが、衣裳が少し欲しい。
だが何故褐色の方だけミックスのウィッグにしたんだろう。
白+金だったら、対は黒+銀にしたいではないか。
幼は何だかとても、特徴が濃い。
賛否が激しいだろうが、個人カスタムには期待する。
DD、MDDはそこそこに評判が良いようで。
エVaは可愛いが、違うキャラクターに見える。
SRエンジェルはとても可愛いと思います。
他のドールでこのデザインだったら、考えてしまう。
服は今回、ライトの加減か全体的に赤っぽく見えます。
白シャツがピンクに見える。
あとは白天使とFSSが気になります。
メカは有機的なほど精巧になれば、好物です。
 

3月絵日記の続き


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