|
2009/03/04(水)
論争
|
|
|
ニュースを見ていると何か自分の中の折り合いのつかない部分が騒ぐので嫌だ。
私は滅多に誰かと対立したり、争ったりしないように気を付けている。 けれどどこかでそういうものを楽しいと思う自分を捨て切れない。 能力もないのにそんなこと参加するべきでないと、分かっているけれど。
国の話は、とても立派で盲目的な「大義」になり得る。 だから戦争に付いて大衆も政府も敏感になるのは分かる。 見ていると、考えていると、もうどうしようもないぐらいに高揚してしまう。 国益とか国防とか核とか戦争に付いて、話そうよ議論しようよ喧嘩しようよと、言いたくなる。 身悶えするほどの欲求が、時々芽生えて体温を上げる。
議論は疲労するし消耗する。 結果に繋がるとも限らないのに、築き上げた環境や人間関係は簡単に壊す。 結論が出なければ全くの無駄に思えて虚無感ばかり募る。 その虚無感も、次に繋がるとは限らない。 そもそも、目的がはっきりしなければ無駄に過ぎない。 けれどそれでも、したくなる。
愛する故の渇望、思い入れによる暴挙。 人間関係が長く続くと起きる衝動に似ていると思う。 騒動するほど大事な何かがあることで、自分の関心と決心を確認したい。 それが気持ち良いから、楽しいから。
ただ、そういう衝動としか呼べないもので議論を始めるのは望まないけれど、それでも。 私はこの国が好きだし、愛しているから身を捧げられると、そう言いたい。
内に籠って理想を求めて、自分の中の愛情を整理するのが苦手で。 感情や衝動の表現に慣れず、極端な形に発露させてしまう。 時々オタクに右翼が多いと言われてしまうのは、この雰囲気なのかな。
|
|
|